Taku's Blog(翻訳・創作を中心に)

英語を教える傍ら、翻訳をしたり短篇や詩を書いたりしたのを載せています。

全訳 オバマ大統領 広島演説(和文のみ)


LIVE: Obama speaks at Hiroshima memorial

以下は2016年5月27日、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマ氏が広島を訪問した際の演説の全訳である。原稿にはザ ・ニューヨーク・タイムズの記事、"Text of President Obama’s Speech in Hiroshima, Japan"を用いた。段落分けは、この記事に従っている。
 
 71年前の雲一つない眩い朝、死が天空から落下した。世界が、変わった。閃光が、炎の城壁が、一個の都市を破壊した。人類が、おのれをも破壊する術を手にした証左であった。
 
 私たちがこの地、広島に来るのはなぜか。それは、そう遠くない過去に解き放たれた、むごたらしい力を思い見るためだ。それは、命を落とした方々を悼むためだ。十万を超す日本人の男性、女性、子供がいた。何千もの朝鮮人がいた。勾留されていた十数人のアメリカ人がいた。
 
 亡くなられた方々のみ魂は私たちに語りかける。おのが内奥を見たまえ。きみは誰で、何になるのか、重々考えたまえ。
 
 広島を特別な存在にしているのは、戦争があったという事実ではない。血なまぐさい争いが地上に現れたのが、人類の誕生と時を同じくすることは、考古品が今に伝えている。フリント(火打石)で刃を、木で槍を作る術を学んだ私たちの初期の祖先は、これらの道具を狩りに用いたのみならず、同胞に対しても用いた。すべての大陸において、文明の歴史には戦争が稠密している。それを駆り立てたのが穀物の欠乏であろうと黄金の渇望であろうと、事情は同じだ。それをもたらしたのが民族主義の熱情であろうと信仰の情熱であろうと、事情は同じなのだ。帝国が興っては滅んだ。諸々の民族が服従を強いられ、解放された。そしてそれぞれの時点において、無辜の民が辛酸を嘗めてきた。命を落とした人の数は知れない。そうした人々の名を、時が留め置くことはなかった。
 

 広島と長崎で残虐な終末を迎えた先の世界大戦は、最も富める諸国家、最も強力な諸国家の間で繰り広げられたのであった。それら諸国家の諸文明はこの世界に壮大な都市を、目も眩まんばかりの芸術をもたらしたというのに。それら諸国家の哲人らは、正義と調和と真実について先進的な思想をもっていたというのに。それなのにこの戦争は、最も簡素な暮らしを営んでいた部族さえをも互いに争わせたのと同じ、支配や征服を指向する根源的本能に源を発していた。旧い行動様式が、新時代の軍事力によって拡大せしめられた。新時代の求める縛りはそこになかった。

 

 数年のうちに、6000万もの人が命を落とすことになる。男性、女性、子供…私たちと何ら変わるところのない人たちだ。そんな人たちが銃殺された。撲殺された。死ぬまで歩かされた。爆撃されて命を落とした。投獄されたまま息絶えた。餓死した。ガス室に送り込まれた。この戦争を語り継ぐ場所は世界中にいくつもある。武勇談や英雄談を語るメモリアルだけではない。口にするのもおぞましい鬼のこえがこだまする墓があり、収容所跡地がある。

 
 しかしながら、この大空を突き抜けたきのこ雲を捉えた像を見るときほど、私たちが人間の持つ根源的な矛盾をはっきり思い知らされることはない。私たちを人類たらしめるささやかな火種こそが、すなわち私たちの思想が、想像力が、言語が、道具作りの才覚が、私たち自身を自然から別ち、自然を恣(ほしいまま)に操る権能が、実は同時に、私たちの手に無類の破壊力を与えている。何という矛盾だろうか。
 
 物的な進歩が、社会革新(ソーシャル・イノベーション)が、どれほど頻繁にこの真実を見えなくしていることだろう。私たちは、いかにやすやすと、何か高邁な大義の名の下に、暴力を正当化するようになることか。
 
 偉大な宗教はみな、愛と平和と義への道を約束している。しかしどの宗教にもいつも、信仰は殺めることの免状だと言って聞かない信者がいる。
 
 国民国家は、犠牲と協働のもとに人を束ねる物語を紡いで興るものだ。確かにそれは、目を見張る偉業を可能にしてきた。しかし、これまであまりにも多く、同じ物語が、異質な他者を迫害し非人道的な扱いをするために用いられてきた。
 
 科学のおかげで、私たちは大洋を越えて通信ができる。雲海の上を飛ぶことができる。病を治癒できる。宇宙を洞察できる。しかし同じ発見が、これまで以上に効率的な殺人機械に変貌することもある。
 
 現代の戦争は私たちにこの真実を教えてくれる。広島はこの真実を教えてくれる。技術が進歩しても、人間社会において同等の進歩を欠けば、私たちの未来は暗闇だということもありうるのだ。原子の分裂をもたらした科学革命もまた、道徳革命を必要としている。
 
 それゆえ、私たちはこの地に来るのだ。私たちは、ここ、この街の中心に立ち、意識を高め、爆弾の落ちた瞬間を想像する。眼前の光景に当惑する子供たちの恐怖を感じる。声なき叫びに耳を澄ます。私たちの心におわす殺された無辜の民は、この凄惨な戦争の犠牲者にとどまらない。それに先立つ戦争からそれ以後の戦争にまで弓なりに及ぶ。
 
 言葉だけではそうした辛苦に声を与えられない。私たちには、歴史を直視し、そうした辛苦が繰り返されるのを抑えるために、何をこれまでと違う方法でせねばならないかを問う共同の責務がある。
 
 戦禍の証である、被爆者の方々の声を聞くことができなくなる日は、いつか訪れる。しかし1945年8月6日の朝の記憶は、決して風化させてはならない。この記憶があるから、私たちは自惚れに抗うことができる。この記憶は、道徳的な想像力を高めてくれる。この記憶があるから、私たちは変わることができる。
 
 そしてあの運命の日から、私たちは、自らに希望を与えてくれる選択をしてきた。合衆国と日本は同盟関係のみならず友情も築いてきた。この友情によって両国民は、戦争を通して要求できたことを遥かに凌ぐ、多くの恩恵に浴することになった。ヨーロッパの国家は、EUを設立した。かつての戦場は商業的・民主的な紐帯に取って代わられた。虐げられた人々と国家は自由を勝ち取った。世界の国々が連携して、戦争を回避するために機能し、かつ、核兵器を規制、削減、最終的には廃絶せんと希求する諸制度、諸条約を生み出した。
 
 それでも、私たちが世界中で目撃する、あらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ行為、権力腐敗、残酷、抑圧が示しているのは、私たちの仕事に終わりはないということだ。人の悪を為す力を根絶することはできないかもしれない。だから国家および私たちが形成する同盟は、自らを護る手段を保持していなければならない。しかし、私の国のように核兵器の備蓄がある国家にあっては、人は、恐怖の論理から自由になり、核のない世界を求める勇気を持たねばならない。
 
 私が生きている間に、私たちがこの目標を達成することはないかもしれない。しかし、弛まぬ努力によって、破滅の可能性を縮小させることはできる。備蓄されている核兵器の根絶への道筋を描くこともできる。核兵器が新しい国に拡散するのを止めることも、狂信的な国家に死の原料を渡さないでおくこともできる。
 
 しかし、それでもまだ十分ではない。それというのも、今日の世界にあって、私たちは、最も粗末な作りのライフルや樽爆弾でさえ、おぞましい規模の暴力を生み出すことができるのを目撃しているからだ。私たちは、戦争そのものについての自らの心のあり方を変えなければならない。外交を通して衝突を避け、始まってしまった紛争は止めようと力を尽くすためにだ。私たちの深化する相互依存を、激しい競争ではなく平和的協調のための理由と見做すためだ。破壊する力によってではなく、生み出したものによって国を意味づけるためだ。そしてとりわけ、ひょっとしたら私たちは、人間という一つの種の一員として、互いの繋がりを、想像力を膨らませて再解釈せねばならないのかもしれない。
 
 というのも、このこともまた、われわれ人類をかけがえのないものにするからだ。私たちは過去の過ちを繰り返すように遺伝子のコードによって宿命づけられているわけではない。私たちは学ぶことができる。選択することもできる。子供にこれまでとは違う物語を語ることもできるのだ。私たちに共通する人間性を描く物語を。戦争がこれまでのようには起こらず、残酷なことがこれまでほどには容易に起こらない物語を。
 
 これらの物語は被爆者の中にある。原爆を落とした飛行機を操縦していたパイロットを赦した女性。彼女は、自分が本当に憎いのは戦争そのものだと認めていた。あるいは、ここ広島で命を落としたアメリカ人の家族をいくつも捜し当てた男性。彼は、家族らの喪失感は自分のそれと同じだと信じていた。
 
 私自身の国の物語は、率直な言葉で始まる。人は皆平等につくられ、創造主によって、生命、自由、幸福の追求を含む不可分の権利を賦与されている。この理想を実現するのは、アメリカ国内においてさえ、アメリカ人の間でさえ、簡単であったためしがない。それでも、この物語に忠実でいることは、その努力に見合う価値のあることだ。それは、求めようと奮闘されるべき理想であり、大陸を越え、大洋を越える理想である。すべての人が持つ集約不可能な価値、すべての生命がかけがえがないという主張、私たちは、人間というひとつの家族の成員だという根本的で不可欠な概念、それこそが私たち皆が語らなければならない物語なのだ。
 
 こういうわけで、私たちは広島に来るのだ。そうすると私たちは、愛する人を思う。朝一番、子供たちからこぼれる笑み。台所のテーブル越しに夫や妻が差し出す優しい掌。父や母からの安らぎを生む抱擁。私たちはこうしたことに思いを馳せることができる。そしてまた、私たちはこのことも知っている。すなわち、同じかけがえのない瞬間が、71年前にここで起こっていたのだ、と。
 
 亡くなられた方々は、私たちと同じだ。普通の人ならば分かってくださると思う。普通の人はこれ以上の戦争を望んでいない。科学の驚異は生の向上に充ててほしい。殺すのには使ってほしくない。国家の行う選択が、あるいは指導者の行う選択が、この簡単明瞭な知恵を反映していれば、広島の教えは活かされていると言える。
 
 この地で、世界は永久(とわ)なる変貌を被った。しかし今日では、この街の子供は、平和の中で子供時代を送る。何と尊いことであるか。それは護る価値があり、すべての子供の手に届ける価値がある。それは私たちが選び取ることができる未来である。それは、広島と長崎が、核戦争の夜明けとしてではなく、私たちの道徳的目覚めの契機として記憶される未来なのである。

全訳 The Spoils of Happiness

 The New York Timesに掲載された、哲学者David Sosaによる"The Spoils of Happiness"と題された論説の全訳です。「幸せとは何か」という問題が、ある思考実験を手がかりに考察されます。記事がネットに公開された日付日時は、2010年10月6日午後7:30です。

 The NYTには、"The Stone"という現代哲学者やその他思想家のためのフォーラムが載っています。そこでは、時事問題と時代を問わない問題の両方が扱われます。アメリカの現代思想の潮流に興味がある方は、追ってみてはいかがでしょうか。 

 
 
    ハーバード大学の若き早熟の哲学者、ロバート・ノージックは1974年に、「ザ・マトリックス(経験機械)」を発案した。
君がしたいどんな経験をも君に与えてくれる「経験機械」があるとせよ。偉大な小説を執筆中だとか、友人を作っている最中だとか、興味深い本を読んでいる最中だっていうふうに、君が考え、そして感じるように、超絶すごい神経心理学の専門家たちが君の脳を刺激することができるんだ。君はずっとタンクの中に浮いていることになる。電極が脳に取り付けられてね。君は、自分が人生で経験することを事前にプログラムしてから、この機械に一生つながれているべきか?…(中略)…もちろんタンクの中にいる間、君は、自分がタンクの中にいることは分からない。だって、君は、すべてはほんとに起こっているって考えていることになるんだから。…(中略)…君は機械につながれるかい? (Anarchy, State, and Utopia, p. 3)
     ノージックの思考実験(ついでに言うと、あの映画)は、面白い仮説を指摘している。すなわち、「幸せとは、心的状態ではない。」  
 
     「幸せとは何か」というのは、哲学者が問う奇妙な問いのひとつで、答えるのは難しい。学問としての哲学においては、まだこの問いへの統一見解はない。哲学者というのは、生まれつき、それからトレーニングのせいで、議論を好み、なかなか首を縦に振らない奴らである。でも、この問いが難しいのは、幸せとはどんな種類のものかをめぐる、問題含みの偏見のせいなのだ。僕は、誤りを診断し、より正確で公平な処方箋を講じよう。
 
Happiness isn’t just up to you. It also requires the cooperation of the world beyond you.
(幸せっていうのは、ただ君次第ってわけじゃない。君を超えた世界の協力だって必要なんだ。)
 ノージックの思考実験によって、僕たちは、ひとつのありうる状況に関して、決断することを求められる。事態がそんな具合なら、君はどうするか?機械につながれるか?中には、この例には取り合わない人もいる。仮定の状況についての決断などという、そもそもの考え方がどうもインチキくさい。何も示せない。「こんなの全部、ただの仮説じゃないか!どうでもいいことじゃないか。目を覚ませってば。」
 
 設定が仮定のものであるからといって、その設定が考えるのが難しかったり、無価値だということはない。君の建物で火事があったとしよう。君は、隣人たち(彼らは、救出されなければ脱出できなくなってしまう)を外まで引きずり出して救出するか、あるいは、逃げるときに自分の鉛筆を握りしめてそれを「救出」することができる。両方というのはダメだ。君ならどうする?答えは簡単だと思う。そして、それがポイントなのだ。僕たちは、少なくとも時には、こうした問いにたやすく答えられる。君は仮定を与えられて、こちらをするか、あちらをするかと尋ねられる。仮定の状況について思考し、答えを与える。ノージックの例はそういうものだ。
 
 それで、君は機械につながれるかい?
 
 けだし、僕たちの大部分にとって、答えは「ノー」だろう。「ザ・マトリックス」のヒーローたちは、モーフィアス、ネオ、そして味方の愉快な反乱軍。「エージェント」と取引するサイファーは悪者だ。もしものときに僕たちが何を引っつかむか考えてみることが、実際僕たちが何に価値を置いているのかを知る助けになりえるように、「経験機械」につながれるかどうか考えることは、僕たちが切望している類の幸せについて知る助けになるのだ。
 
 ノージックの機械につながれることを拒否する中で、僕たちは、自己に深く根づいた信念を吐露する。「機械から得られる類のものは、僕たちが得られる一番価値あるものじゃない。僕たちが心の一番底の底から欲しているものじゃない。このことは、僕たちが機械につながれ、何をどう考えようと、変わらない」。機械につながれて生きることは、幸せな生活を追求する際に僕たちが求めることの成就だとは考えられていない。友人がいることと、友人がいるという「経験をすること」の間には重大な違いがある。偉大な小説を書くことと、偉大な小説を書くという「経験をすること」の間には重大な違いがある。機械につながれていたら、僕たちは、子供の親になることも、パートナーと愛を交わすことも、友人と声を出して笑うことも(知らない人に微笑むことさえも)、踊ることも、ダンクシュートを決めることも、マラソンを走ることも、禁煙することも、夏までに10ポンド痩せることもないのだ。機械につながれていても、僕たちは、そうしたことを実際に成し遂げる人がするような経験をする。でも、そんなのはみんなある意味「にせ」、しょせんは頭の働きだけ、蜃気楼のごとき夢だ。
 
A drug addict is often experiencing intense pleasure. But his is not a life we admire.
薬物中毒者は頻繁に激しい快楽を経験する。でも彼の人生は、僕たちが称える人生じゃない。)
 
 さて、言うまでもないことだが、君が機械につながれていたら、君の側では、機械につながれているかいないかの違いは失われてしまう。自分が実は誰の友達でもないのだってことは君には分からない。でも、ここで異彩を放っているのは、この事実でさえ十分な安心材料ではないということだ。むしろこの事実によって、先行きへの恐怖は膨らむ。僕たちは無知でもあるし、おまけに騙されてるときてる!孤独の痛みに苛まれることがない、それはいいことだ。でも、僕たちがそんなふうに蒙昧でなければ、友情の経験が本物であればマシなのに。
 
 要するに、君の子供が初めてサッカーをするのを観るのがすばらしいことなのは、それが実に心楽しい経験を生むからではない。むしろ、通常その経験をそんなに特別なものにするのは、それが「君の子供が」「初めて」「サッカーをしている」のを観る経験だということなんだ。きっといい気持ち――シビれるくらいに素敵な気持ちだ。でも、大切なのは、「現実への反応として」その気持ちがそこにあること。気持ちそれ自体が、人生を幸せなものにしてくれるというのは誤っている。
 
 幸せというのは、信仰よりも知識に近い。信じてはいるが知らないことはたくさんある。知識っていうのは、ただ君次第ってわけじゃない。君を超えた世界の協力だって必要なんだ。つまり、君は間違っているかもしれないということだ。それでもたとえ間違っていても、君は自分の信じていることは信じている。その点、快楽は信仰に似ている。でも、幸せっていうのは、ただ君次第ってわけじゃない。君を超えた世界の協力だって必要なんだ。幸せは知識と同じように、そして信仰や快楽と違って、心の状態「ではない」。
 
 幸せをこんなふうに見ると、挑発的な帰結がひとつ導かれる。もし幸せが心の状態ではないなら、もし幸せが、君の気持ちと、周りの世界の出来事・物事の織りなすタンゴのようなものだとしたら、君が幸せかどうかについて「間違う」可能性が現れる。君が、自分は快楽を経験しているのだと思っているなら、いや、痛みの場合が特にそうかもしれない、君が、自分は痛みを経験していると信じているなら、おそらく、君は痛みを経験しているんだろう。でも、ここでの幸せについての見方は、「君は幸せだと思っているかもしれないが、実際はそうじゃない」という事態を認めるんだ。
 
 幸せについての考え方でとりわけ格好のもののひとつ(アリストテレスの思想に既に見られる考え方)に、「充実」の観点からのものがある。新しい仕事ですごく充実している人、あるいは大学を卒業してすごく充実している人を考えて欲しい。充実という語の意味は、単にその人がいい「気持ち」だということではなく、たとえば物事をいくつか成し遂げつつあって、その達成に見合った快楽を得ているということだ。もしその人が家で一日中、座ってヴィデオ・ゲームをしているだけだとしたなら、たとえ大きな快楽を得ていても、たとえ欲求不満でないとしても、僕たちはその人が充実しているとは言わない。そういう人生は、長い目で見たら、幸せだとは見なされない。幸せな人生を歩んでるっていうのは即ち、充実しているってことだ。
 
 これと著しい対照を成すのが、薬物中毒者の人生だ。薬物中毒者は頻繁に激しい快楽を経験する。でも彼の人生は、僕たちが称える人生じゃない。多くの場合、それは相当惨めな生き方だ。いや、人はこう考えるかもしれない。薬物をする人だからこその苦しみもある、離脱症状とかがあるし…ひょっとしたら彼は、クスリをやめられなくていらだっているかもしれない、とね。でも、そうした心配が当たらないとしよう。当人がちっとも苦しんだことがないとしよう。他の生き方には少しも興味をもっていないとしよう。それなら、どれくらいマシになるだろう。
 
 
 
 マシになるかもしれない。でもそれは「幸せな」人生ではない。他の人生に比べてマシということはあるかもしれない。例えば、終わりのない鈍痛が続く人生と比べたら。痛みに比べたら、シンプルな快楽の方がいいに決まってる。でも、薬物中毒者の人生が幸せなものじゃないのは、彼が落ちぶれたときに感じる絶望のせいじゃない。彼が快楽を感じているときでさえ、それは彼についてさしたる意味をもつ事実じゃない。それは単なる気分であり、動物が経験しているのを僕たちが思い描ける種類の快楽だ。幸せは、手にするのがもっと難しいものだ。それは、君が何かのために働いた後で、あるいは愛する人たちのいるところで、あるいは息を呑むような芸術作品やパフォーマンスに出会ったときに味わうものだ。僕たちが幸せであるためには、ある種の現実的活動をして、現実の事物に直面して、それらに反応することが必要だ。それからもう一点。非常にきつい状況にあっても、曇らぬ目でそれに関わることへの誇り。この矜持に時に伴う、ささやかな幸せを、僕たちは無視するべきではない。
 
 
 
 人生で一番大切な物事が自分でどうにもできなくなるのは忌々しい。幸せが外的な影響に左右されると見なすことは、僕たちの役割を制限する。幸せに生きられるかどうかが、物事がどう推移するかに左右される可能性があるという意味においてだけではない。幸せとは一体何かという問題が、部分的には、自分を超えた物事がどうであるかという問題になってしまうという意味においてもだ。僕たちは、幸せに生きるためにできることはすべてするかもしれない。幸せであるために僕たちの側で必要なすべてを、あらゆる正しい思想と気持ちを持っているかもしれない。そして、それでもなお、足りないかもしれない。僕たちにさえ分からないまま。これは身震いするような考え方だ。でも、僕たちは勇気をもたないといけない。知的な勇気だって、幸せに負けないくらいに大切なのだ。

即興詩 桜

二十年前、父は末期の癌だった。

遠い山並に小さく満開の桜を見やり、

「今年の桜が最後か」と言った。

その年の六月、父は逝った。

爾来、わたしは桜を見るたび、

鼻の奥がつんとするような哀しみを憶えてきた。

しかし

わたしが三十を過ぎた頃からだろうか、

桜は、わたしに特別な感興を催すことがなくなってきた。

気がついたらわたしは、

見頃の桜を見損ない、

擦り減った靴で、濡れた花びらをくしゃくしゃと踏んで、

乾いた初夏を迎えた。

そうしてすぐに、

息が詰まるほどの真夏の熱気に包まれた。

桜よ。わたしは今年もまた、まだあなたを見ていない。

あなたは本当に生き急ぐから。

あなたは本当に生き急ぐから。

わたしはことしで三十五になる。

父が逝ったのは二十年前の初夏だった。

桜は、すべて散ってしまっていた。

「今年の桜が最後か」と父は言った。

岡真理『記憶/物語』(2011年2月14日に執筆)

あしたのための声明書|自由と平和のための京大有志の会

http://www.kyotounivfreedom.com/manifestofortomorrow/ …

 

ひとりの国民として、強く支持する。

 

発起人のひとりである岡真理さんの著作『記憶/物語』には、数年前に圧倒された。現在、最も信頼できる人文系の学者のひとりだと確信している。

2011年2月14日、私はアマゾンに書評を書き残している。

私が書いたのは拙い書評かもしれないが、これがきっかけになって、ひとりでも多くの方が、この息が詰まるような著作を手にとってくださることを願い、ここに再掲する。

 

記憶/物語 (思考のフロンティア)

記憶/物語 (思考のフロンティア)

 

(書評)

巻末によると、本書出版時の著者の専攻は、「現代アラブ文学、第三世界フェミニズム思想」である。アラブ世界に身を置いた体験があり、アラビア語、アラブ文学に通暁している著者は、ほとんどの日本人が知ることのない、あるパレスチナ人の虐殺事件から、この本を語り始める。ただし、本書の目的は、特定の虐殺事件に照準を絞ることにあるのではなく、戦争において典型的に顕在化する、圧倒的に不条理で無意味な暴力やその記憶を、他者と分有するとはどのようなことであり、また、それは如何にして可能かという、より一般的なテーマを追究することにある。

著者は、自らの問いの重みに困惑し逡巡しながらも(そうした軌跡の轍を残しながらもなお)、畏怖するほどに明晰な文章で、欺瞞のない誠実な思考を実践している。

著者の思考の前提は、以下のようなものだ。すなわち、戦争のような理不尽で激しい暴力に晒され損なわれた者たちは、その〈出来事〉を、その記憶を、現在形の〈出来事〉として生きている。彼ら彼女らは、それを過去形のレベルに回収し、体験として語ることができない。このとき、彼ら彼女らと、その〈出来事〉(の記憶)との主客が逆転している。すなわち、ここにあっては、人が思い出すのではなく、記憶が到来する。人が出来事を語るのではなく、出来事が人に語らせるのだ。とはいえ、暴力に特徴づけられた、こうした常に現在形として回帰する〈出来事〉は、語ろうとしても、汲み上げられない〈出来事〉が常にこぼれ落ちてしまう。

こうした「語り」の前にあって、われわれは、如何にその他者と記憶を分有すべきか。まず、著者が何より唾棄するのは、無意味で不条理な暴力や死、その記憶に対して、意味の不在を直視できないために、英雄物語や愛の讃歌のようなもので意味を充填しようとする態度だ。著者は、このような態度を「暴力」ということばを遣ってすら糾弾する。この感覚は、著者ほどに優れた文学的資質を持っていれば至極当然であろうが、この観点からスピルバーグの『プライベート・ライアン』や『シンドラーのリスト』を完膚なきまでに批判する手腕は見事で、喝采を送りたくなったほどだ。

とは言っても、著者は単なる手腕ある辛辣な批評家ではない。語り得ぬものの存在を自覚し、自らの無力を自覚し、それでもなお、他者の語りに切迫しようとする彼女は、彼女自身の誠意によってもまた傷つけられているように感じる。思想の場はもちろん戦場ではないが、彼女自身もまた、傷だらけになりながら、他者の語りの不可能性の漸近線まで肉迫したのだ。

 

シェイラ・ヘティ 『わたしの生は冗談』

THE NEW YORKER MAY 11, 2015 ISSUE に掲載された、MY LIFE IS A JOKE BY SHEILA HETI の翻訳です。

http://www.newyorker.com/magazine/2015/05/11/my-life-is-a-joke

わたしが死んだとき、それを見ているのは、周りに誰もいませんでした。それは、全然構いません。ひとりぼっちで死んじゃうのって、そして、そのとき周りに誰もいないのって、すごい悲劇だって思う人もいます。わたしの、高校のときのボーイフレンドは、わたしと結婚したがっていました。人生であるがべき一番大切なのは「見てくれる人だ」って彼は考えていたから。高校のガールフレンドと結婚して、その人と添い遂げる、それなら、いっぱい見てもらうことができます。大切なことは全部、一人の女性に見てもらえるのです。わたしは、彼の、妻とは何ぞやっていう考え方には辟易しました。妻とはつまり、傍に居て、人生が展開するのをじっと見ている人だって。でも、今では彼のことがまだ分かるようになりました。愛する人に自分の人生を見させておいて、毎夜それについて話を、なんてのはぜんぜん些細なことではありません。

わたしは、彼とは結婚せず、誰とも結婚しませんでした。別れたのです。一人で暮らしました。子供も作りませんでした。わたしだけが、わたしの人生を見ていました。彼は、結婚する女を見つけて、その女には子供ができるっていうのをいいことに、子供を一人もうけました。彼女の実家は大家族で、彼らの近くに住んでいました。彼の実家と同じです。一度彼らのところに行ったときは、彼の誕生日のディナーで、その子供を含めて、親族、近しい友人たちで三十人もいました。場所は、彼の奥さんの家でした。彼女たちが生活を築いている途中の、海沿いの町です。彼は、望み通りのものを手にしました。彼には、三十人の信頼できる「見てくれる人」がいるのです。たとえ、半分が死んだり、何処かへ越したり、彼を憎むようになっても、まだ十五人はいる算段です。彼が死ぬとき、彼は優しい家族に囲まれているはずです。彼にまだ髪の毛のあったときを覚えているであろう家族。へべれけで家に帰ってきて怒鳴り散らした全ての夜を覚えているであろう家族。彼のおかした失敗を全て覚えていて、でもそんなのはみんな差し措いて、彼のことを愛しているであろう家族。彼にとっての「見てくれる人」がみんな死んで初めて、彼の人生は終わるのです。彼の息子が死んで、その息子の奥さんが死んで、息子の子供らが死んで、それで、わたしの初めてのボーイフレンドの生は完結するのです。

わたしが息を引きとったとき、誰もわたしのことを見ていませんでした。わたしを轢いた車はさあっと走り去りました。別の車を運転していた人が止まって、わたしを道路の真ん中から脇へと動かしてくれたのですが、そのときわたしはもう死んでいました。だから、わたしはひとりぼっちで死んだと言っていいでしょう。


今や、わたしが嘘をついてることはたぶんお分かりでしょう。もしわたしがほんとうに、愛していた人が誰もわたしが死ぬのを見てくれていなかったことに満足しているのなら、どうしてわたしは黄泉の国からはるばるここへ戻ってきたのでしょう。どうしてわたしの躰という肉と、それから、この世での最後の日に着ていた服を身にまとったのでしょう。どうして生きていたときに話していた声を取り戻して再び語り始め、そしてどうして死んだときの体重に戻ったのでしょう。わたしは目と髪についた泥を落としまでして、歯を、口の中のそれらが撥ね落ちる前の場所に嵌めました。どうしてわざわざそんなことを?たいへんな手間でした。永遠に土の中にいることだってできたのに。もしわたしが、人生は解決済みだと感じているなら、朽ちていきながら、そこにいることだってできたのです。もし胸中で、何かが語られなければならないという不安がよぎらなかったとすれば、わたしは今でも土の中にいることでしょう。


つまりこういうことです。わたしとは冗談だったのです。わたしの生とは冗談だったのです。わたしが最後に愛した男―高校のボーイフレンドではありません―が、最後の喧嘩のときにわたしにそう言ったのです。そのときわたしは三十四歳でした。喧嘩の最中、わたしが自分の言い分を説明しようとしていたとき、彼は叫んだのです。「お前の存在が冗談だ!お前が生きてるのが冗談だ!」

その前の晩、わたしたちはまだ互いを愛していました。同時にベッドに行って、彼が流行りの犯罪小説を携帯で読んでいるうちに、わたしは彼の腕を優しく触りながら枕の上で眠りに落ちました。それから数日して、わたしは死にました。わたしが、彼の言ったことの意味をきちんと理解するのには、そのときから四年もの歳月を要しました。わたしとは冗談で、わたしの生とは冗談だということ。彼がそれを言ったときにはわたしはどう返していいのか分かりませんでした。ただ、わたしはひどく傷ついて、叫びました。でも、それは、彼に対して、彼の方が正しいということを示しただけでした。わたしは、大きく開けた口で彼を見据えました。もちろん、そのときには彼が非道いのには慣れていましたが、それでも、わたしは傷つきました。

今宵ここにお話にいらしてくださいという皆さんからの招待状をいただいたとき―わたしが死んだってご存じなかったのですか。ご存じなかったのですね―そう、皆さんから招待状を頂いたとき、最初はこう思いました。「だめ、行けない」 実のところ、行かない理由などありませんでした。でもそれから、数か月後にわたしは皆さんにメモを書きました。「わたしを掘り起こす代金をお支払いいただけるなら、行きます。わたしの死体を、埋められていたところから、飛行機でアメリカ大陸を横切って運んで、マイクスタンドのところまで車で運ぶ、それらの代金もお支払いいただけるなら、それなら、行きます」 飛行機の中では、言いたいこと―それだけがわたしがイエスと言った理由なのです―を死んだ脳に留めておくのに必死でした。わたしには、述べるべき大事なことがありました。それは何かって?わたしは、申し上げませんでしたっけ?思いというのは、死んだ脳からはほんとうにすぐに滑り落ちてしまうものです。わたしには、申し上げたかどうか思い出せません。

あそこで、地の下で横たわっていて、塩と土と汗とミミズたちと芽の生えてきた種と若木と乾いた鳥たちの骨がわたしの口に集まってきて、血は干からびて、足指はねじ曲がって、そして、いったい何なのか分からないけれど、とにかく土に斑を描く小さくて白い玉―そう、発泡スチロールの小球でした―と犬のうんち、スカンクのおしっこ、それから芽生えた種と若木とどんぐりと干からびた葡萄。そこで、つまりあの完全な濡れた暗闇にあって、ものを考えられたことは驚くべきことです。

ご存知ないでしょう、地中に横たわっているとき、どんなことが頭から離れないかを。お墓まで持って行ける思いはたった一つだけで、それは必然的に、苛立たしいものなのです。安息が訪れるまでずっとずっと、考えられなければならないもの。わたしがお墓に持って行った思いは、愛する男が「お前の存在が冗談だ、お前が生きてるのが冗談だ」と言ったことについてのものでした。それは、わたしの頭と筋肉と骨に膠着して、ついにはわたしは、そのことばでしかないものになってしまいました。わたしの命が内側に崩れたとき―死とはそういうものなのです、命はそれ自体の内側深くへと崩れるのです―あのことばは、崩壊の外側で、残っていました。それはわたしを離れたものになりました。そして、それがわたしを離れたものであるから、わたしはそれを持って行くことができたのです。唯一の持ち物でした。

お水を一杯頂いてもよろしいでしょうか。わたしのお水はどこですか。わたしはすごく喉が乾いていて、そして、死んでいます。明日は、飛行機です。それから、手荷物全て、骨の髄にある安らぎを携えて、墓の下です。ここに宣言しに来たことを宣言してしまった後で。それは、わたしが地中にいたときに見出したことなのです。それで、わたしは永久(とわ)の眠りに就くでしょう。もう自分の汚れを払い落とす必要もなくなるでしょう。

わたしとは冗談で、わたしの生とは冗談だと言った男。彼は、わたしの最後の瞬間に立ち会って、わたしが息を引き取るのを見ていなかったかもしれません。でも、わたしには気づいたことがあるのです。彼はわたしの死を予告していたのです。彼はわたしを芯まで見通しただけで予告できたのかもしれません。わたしの魂を見た人となったことによって。彼があの非道いことばを言ったとき、彼はわたしの未来を見通しました。わたしが出くわすことになると彼にはわかっていた未来です。喧嘩のあいだ、わたしは彼に、それは間違いだということを分からせようとしました。「わたしは冗談なんかじゃない!冗談なのはあなたの方よ!」


人がバナナの皮で滑って死んだら、彼女の生は冗談です。わたしはバナナの皮で滑って死んだのではありません。人が、ラビ(訳注:ユダヤ教社会における宗教的指導者)と司祭と修道女と一緒に酒場に入っていって、そのように死んだら、彼女の生は冗談です。わたしはそんなふうに死んだのではありません。人が、道路のあちら側にたどり着こうと道路を渡る鶏で、そのように死んだら、彼女の生は冗談です。いや、わたしはそのように死んだのです。道路のあちら側にたどり着こうと道路を渡っている鶏として。

その日わたしが道路を渡ったとき、わたしが向かっていたのはあちら側でした。そのことなのです。どれほどの絶望を感じたことか。わたしたちの喧嘩は、まだわたしの心の中にありました。どうして鶏は道路を渡ったのでしょう。あちら側にたどり着くためです。自殺。あちら側とはすなわち死です。誰でもご存知のこと、そうでしょう?

わたしはあの錆びた古い車の前に飛び出しました。金属のかたまりにぶつかりました。歯はフェンダーに当たって喉の奥へと押しやられました。胸は、完膚なきまでに轢かれました。

わたしは皆さんをふさぎ込ませるためにここに来たのではありません。ある冗談をお話するために来たのです。いや、ある冗談をお見せするためにと言った方が正確ですね。わたし自身のことですよ!それから、わたしが見られていたことを自慢するために。あのわたしの初めてのボーイフレンド―彼が住んでいるところは、そこからそんなに離れてはいません。ひょっとしたら、聴衆の皆さんの中に紛れ込んでいて、聴いてくれているのでは?ビールは飲んでる?彼がここにいてくれるといいですね。はっきり言って、わたしの生と死はちゃんと見られていました!見られ、予告されたのです!皆さんの、わたしと同じく出来の悪いことといったら。結局、両者ともに勝ち、といったところでしょうか。

わたしは何という鶏だったことでしょう。生活のあらゆる側面が耐えられませんでした。特にあの古めかしい慣習。他の皆よりいい生活をしないとだめだなんて。あちら側ってどんなところだろうって、皆さん思ってらっしゃるかもしれませんね。わたしはここにいるのですから、お話するしかありません。みんなが常に笑っている、ふざけた場所です。それは、かつてわたしが、大陸横断の飛行機内で経験したことに似ています。横の女性が、どんな番組を見ても、その中のくだらない冗談のいちいちに声を出して笑うのです。文字通り、番組の全ての冗談にです。彼女はどんどんと番組を見ていきました。彼女の笑いは、わたし達の座席の横一列を包み込みました。彼女は離陸から着陸まで笑うことをやめませんでした。人の笑いの、何と忌々しいこと!世界の、声を出して笑う人はこのことを知らないのでしょうか。彼女たちは、それで愛らしくなるとでも思っているのでしょうか。誰が、ヘッドフォンを着けて画面に見入っている人のひとり笑いが聞こえてくるのを好ましく思うでしょうか。答えはおそらく、他人がホテルの壁の向こうでファックするのを聴くのにやぶさかでない類の人々です。

あちら側では、ずっとそんなふうなのです。犬は笑う、木は笑う、みんな笑う―可笑しいことがあるなしにかかわらずです。わたしは、あちら側で、十六人の聴衆を前にこのスピーチの練習をしました。始まりから終わりまで、四時間かかりました。一つの文を言うたびに、笑いが収まるのを待たねばならなかったからです。ここ、この世ではもちろん事情は異なります。生活の静けさは、いちばん大きな安心の一つです。死とは皆にとって平等なのでしょうか。それとも、この笑いの世界は、わたしだけのために拵えられた一個の死なのでしょうか。わたしにどうして確かなことが分かるでしょうか。

わたしの申し上げていることは筋が通っていますか。わたしは、語ることについては自意識が高いのです。声は問題ありませんか。死んだときに、思いを持って行くのは困難なことです。わたしの頭は今、原綿を詰められたようです。両目には、綿の玉を埋め込まれたようです。両耳も綿でふさがれたようです。ものを考えるのが、意味と意味を結びつけるのが困難です。わたしは、皆さんに愛してるって言うためにここに来たわけではわりません。そんな話をしているとでも?わたしがこれまでに愛した男性は、二人だけです。一人は、わたしと結婚したがり、もう一人は、わたしの生は冗談だと思っていました。わたしの初めてのボーイフレンドは「見てくれる人」を見つけられました。わたしも見つけたとここに宣言します。わたしは勝ったのですよ。わたしは勝ちました!わたしは、人が勝ち取ることのできる最上のこと―見られること―を勝ち取ったのです!今日ここでそのことを宣言します。それだけが、皆さんの前に立つために肉体へと這入った理由なのです。この舞台の上の冗談。彼のことばはもうわたしを傷つけません。むしろそのことばによって、わたしは誇りに思います。

どうして鶏は道路を渡ったのでしょう。その鶏はわたしです。わたしがその鶏なのです。そして、わたしはあちら側にたどり着くことができました。彼は、あのことばを言ったときには、こうなることは分かっていました。見られることはなんてすてきなんでしょう。

アティーク・ラヒーミー『悲しみを聴く石』

悲しみを聴く石 (EXLIBRIS)

悲しみを聴く石 (EXLIBRIS)

すごい小説だ。

日本ではほとんど知られていない作家であろうから、簡単に紹介しておこう。アティーク・ラヒーミーは、アフガニスタン生まれの小説家・映像作家である。氏は、初めてフランス語で書いたこの小説で、2008年、フランスでもっとも権威ある文学賞である《ゴンクール賞》を受賞した。

舞台は、戦争中の「アフガニスタンのどこか、または別のどこか」だ。ある家の部屋で、植物状態の男を、妻である主人公が介抱している。この女主人公の名は最後まで明かされない。物語の語り手は、その部屋に固定された映画のキャメラのようだ。語りは現在形で、臨場感をもたらしている。たとえばこんな具合だ。
 

カーテンの黄色と青の空の穴から陽の光が消えて行く時、女は部屋の入口に再び現れる。男を長い間見つめていから近づく。呼吸を確認する。男は息をしている。点滴バッグの中身がなくなっている。「薬局が閉まってたから」と女は言って、あきらめたように、次の指示があるのを待っているが、反応は何もない。呼吸の音の他は。女は部屋から離れ、液体の入ったコップを持って戻ってくる。「この間のようにしなくては、塩と砂糖水で…」
 手慣れた素早い動きで、女は男の腕からカテーテルを外す。点滴針を抜く。チューブを掃除し、半開きの口に入れ、食道に達するまで押し込む。それから、コップの中身を点滴バッグの中に入れる。一滴の量を調節し、一滴ごとの感覚をチェックする。一呼吸ごとに、一滴。
 そして再び部屋を出る。(pp.19-20)

 女は、何も反応しない男に語りかけるうちに、どんどん雄弁になる。女の独白は、私達が、女の過去について、これまで女を取り巻いてきた人々について、知ることを可能にする。そして女は、ただ語ることで、世界が女性に課す抑圧から解放され、智慧と勇気と自由を得ていくようである。

 静謐な空間の中で、一人の女性が再生するこの物語が、多くに人に読まれればと願う。

マリオ・バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』

若い小説家に宛てた手紙

若い小説家に宛てた手紙

若い、小説家志望の人に手紙を通して語りかけるという設定で、小説というものの仕組みが、テーマ別に易しく書かれている。語られるのは、「説得力」「文体」「語り手、空間」「時間」「現実のレヴェル」「通底器(ちがった時間、空間、あるいは現実レヴェルで起こる二つ、ないしはそれ以上のエピソードが語り手の判断によって物語全体の中で結び合わされること 本書p.137)」など、基本的なことに限られる。「異化」や「転移」など、ほんの少しだけ専門用語が出てくるが、大江健三郎の『新しい文学のために』などに比べると専門的では全然ない。小説家志望の人はもちろんだが、小説、世界文学に興味のある人全てに強く薦めたいと思う。

バルガス=リョサラテンアメリカ出身の作家ということで、本書には、ラテンアメリカ文学が随所に登場する。ガルシア=マルケスはもちろんのこと、ボルヘスコルタサルといった具合だ。また、作者は、フローベールカフカ、フォークナーらへの尊敬を隠さない。本書にはたくさんの作家のたくさんの作品が登場するが、それらのどれもが(大半は未読であるにもかかわらず)、何と魅力的なことか。

少し長くなるが、バルガス=リョサの、作家としての覚悟を引用しよう。(本書p.16)

文学の仕事というのは、暇つぶしでも、スポーツでも、余暇を楽しむための上品なお遊びでもありません。他のことをすべてあきらめ、なげうって、何よりも優先させるべきものですし、自らの意志で文学に使え、その犠牲者(幸せな犠牲者)になると決めたわけですから、奴隷に他ならないのです。パリに住んでいた私の友人の場合がそうであったように、文学は休むことのない活動に変わります。ものを書いている時間だけでは収まらず、そのほかすべての仕事にまで影響を及ぼして生活全体を覆い尽くしてしまいます。つまり、文学の仕事というのは、あの長いサナダムシが宿主の体から養分をとるように、作家の生活を糧にし、そこから養いをとるのです。フローベルは、「ものを書くのはひとつの生き方である」と言いました。これを言い換えると、ものを書くというのは美しいが、多大の犠牲を強いるものであり、それを仕事として選びとった人は、生きるために書くのではなく、書くために生きるのである、となるでしょう。

私は、バルガス=リョサにすっかり魅了された。次は、代表作の『緑の家』を読み進めていくつもりだ。

緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)