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岩井俊二監督 "PICNIC" (1996年) CHARA 浅野忠信 橋爪浩一 他 (68分)

映画評

 

 世間ずれした大人は、子どもは純粋だと言う。無垢で愛らしい、と。そうしてきっと、無垢で愛らしい自分の子どものときを懐かしむ。多分、だらしのない顔で。

 子どもが純粋であるなら、大人は幾分か濁ったところがあるはずだ。僕たちがそうした大人になったのは、一つには、心を磨硝子のように曇らせて分厚くしておかなければ、切りつけられたときに激しく痛み、だらだらと血が流れるからに相違ない。でも、忘れがちなもう一つの理由は、僕たちは、子どもの時分の奔放な暴力性を抑えつけ、もやもやしたものの中に封じ込めるように条件付けられたからだ。

 子どもは、虫を殺して「遊び」、ぞくぞくしたりする。いい大人がこれをやると、ちょっとまずい。

 岩井俊二監督の“PICNIC”は、男2人、女1人の計3人の青年を描いているが、これは、大人になれなかった子どもの映画だ。大人になることに失敗した3人は、それぞれの事情で、精神病棟―管理と規律の世界―に放り込まれる。皆、論理に沿ってものを話せない。自分が人を殺した理由すら、はっきり説明できない。ココと呼ばれる女の子は、生きたカラスの羽をむしって服を作る。残虐ではあっても、お洒落には余念がない。皆、純粋な子どもだ。

 「塀の外に出てはいけない」―この規律に3人は、無意味な校則を内面化するように囚われていて、「塀の上」をふらふらとどこまでも「探検」する。本気で信じているのかいないのか分からない、「地球の終わり」に向けて…。(3人とも時間と空間の感覚が混在している。)

 90年代以降、「閉塞感」ということばが、時代を象徴する1つのキー・タームだ。実社会で窒息し、病棟で窒息した3人に行き場はない。「地球の終わり」は、絶望だ。3人が所謂大人になれれば話は別だが、彼らにはもう、そのきっかけすらも、ない。だからこの映画は、悲劇だ。

 子どもの心は、息の根を止められる。その暴力性が内に向かって暴発して。あるいは、僕たちを纏い、僕たちが再生産する、目に見えずに捉えがたい、より強大な暴力と排除によって。

 かつてはどんな大人も子どもだった。それは、これほどに脆く、これほどに生々しく、これほどに美しいことであったか。

PiCNiC [DVD]

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