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The Tree of Life

映画評

 おそらく建築士として成功を収めている中年の男(Jack)は、ガラス張りの最先端のデザインの現代的な建築物の一室で、ふとガラス越しの一本の木と、小さな青いグラスの中のキャンドルの炎を見て、自身のの思春期に思いを馳せる。彼の鮮やかな思い出は、一人の人間を超えた時空をキャンバスに描かれる。澄み渡った青い空と、緑の大地とともに。

 思春期のJackは、厳格な父親に反発し、憎んだこともあった。友人を失くし、信仰すべき神の理不尽に不信を抱いていた。その頃の男の子の多くがするような悪さもした。それでも、母の愛をいっぱいに受けて育ったし、弟と、美しい自然の中で駆け回って遊んだ。Jackに厳しくあたっていた父は、仕事を失ったとき、自分が息子に対して過度に厳しかったことを恥じ、詫びた。父は若かりし頃、音楽家になる道においても挫折した。この映画で、父は、厳しい抑圧者であると同時に、挫折の象徴でもある。そして、映画の序盤に示唆されるように、信仰の道(graces)に対する世俗(nature)の体現者でもある。(対照的に、母は信仰の道と愛に生きる人間だ。)中年になって回想するJack―おそらく、当時の父よりも年上になっているJack―は、父を乗り越え、自らの迷いに満ちた思春期を懐かしんでいるはずだ。

 映画の序盤で、Jackの弟の訃報(おそらく戦死を伝える電報)を母が受け取る。19歳だった。Jackの回想はここから思春期に移り、回想は想像へと移る。創世、火山の爆発、微生物の誕生、小さな恐竜、鬱蒼とした森がスクリーンに展開する。

 Jackの思春期の思い出は、長大な時間の中で脈々と受け継がれてきた命の連鎖の中の、ほんの刹那にすぎない。だが、その事実は、個々の生を瑣末なものにするものでは決してない。少年時代のJackの世界が細部まで丁寧に、絵画的な美しさで描かれたとき、その刹那は逆説的に、狂おしいほどにかけがえのないものとして立ち現れる。そうしたかけがえのない刹那が、長大な時間に渡って、世界のあらゆる場所で繰り返されてきた。誰もが知る当たり前のことだが、実感するのは難しいことの一つではないか。この映画の秀逸な点は、個人の魂の揺らぎと尊厳を、巧みな想像力で、一人の人間を超越した宇宙、あるいは融通無碍な時空に溶け込ませたことにある。

 地球の創世、命の創世は、一人の人間にとっては途方も無いことであるが、それでも私たちは想像力を働かせることができる。私たちの想像力は、時空を超える。思春期の思い出を鮮やかに蘇らせることができる。若い父母を蘇らせることも、確執のあった若い父の肩を抱くことも、今いない母や死んだ弟と言葉を交わすこともできる。そして、皆との出会いの舞台は、好きなだけ美しくできる。それは砂漠であっても海であってもよい。氷原につながる扉があってもよい。そこで、若い母が、老いた自らに手を差し伸べられ、死んだ息子を神に委ねてもよい。

 個人的な話だが、私の父は厳格であった。私が思春期のときに死んだ。死期が近い病床では、それまで決して見せなかった弱さを見せた。私は今でも、ときどき夢のなかで父と出会うことがある。どこか分からない場所で出会い、何を話したかも忘れ、目覚める。Jackの回想が想像へと飛翔するとき、それは夢に近い。父を乗り越え、母を愛し、喪失を経てきた男は、彼の自由な想像力で、時空の秩序と限界を超える。そして、幸いにも彼の「夢」はとても美しいものだった。

(参考まで)この映画で、Jackの母の役を務めた女優、Jessica Chastainは、今週号の米TIME誌「最も影響力のある100人」の特集に選ばれています。彼女の名前に貼ってあるリンクをクリックすると、記事に移動します。

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