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リチャード・ブローティガン 『西瓜糖の日々』

書評

西瓜糖の日々 (河出文庫)

西瓜糖の日々 (河出文庫)

 解説で柴田元幸さんが、大学生の時に翻訳を読んで「翻訳の文章でも文章自体から快感を得ることが可能なんだと知って大変驚いた」と書いている。ぼくじしんも、この小説世界の静けさと暴力、冷たさと温かさ、それでも決して行き過ぎることのない狂気に浸っていると、快感と不安とで胸がざわつくような思いがした。そして僕にとっては、すばらしい翻訳に加え、短い詩のような文章を次々とつなぎ合わせることで、こんなに妖しくて深みのある小説世界を築くことが可能なんだというのも驚きだった。

 「わたしの名前」と題された短い章―それは物語のはじめの方にある―で、すでに、その胸のざわつきは一気に最高潮に達した。(以下pp.13-15より引用)

 わたしが誰か、あなたは知りたいと思っていることだろう。私はきまった名前を持たない人間のひとりだ。あなたがわたしの名前をきめる。あなたの心に浮かぶこと、それがわたしの名前なのだ。
 たとえばずっと昔に起こったことについて考えていたりする。―誰かがあなたに質問をしたのだけれど、あなたはなんと答えてよいかわからなかった。
 それがわたしの名前だ。
 そう、もしかしたら、そのときはひどい雨降りだったかもしれない。
 それがわたしの名前だ。
 あるいは、誰かがあなたになにかをしろといった。あなたはいわれたようにした。ところが、あなたのやりかたでは駄目だったといわれた―「ごめんな」―そして、あなたはやりなおした。
 それがわたしの名前だ。
 もしかしたら、子供のときした遊びのこととか、あるいは歳をとってから窓辺の椅子に腰かけていたら、ふと心に浮かんだことであるとか。
 それがわたしの名前だ。
 それとも、あなたはどこかまで歩いて行ったのだったか。花がいちめんに咲いていた。
 それがわたしの名前だ。
 あるいは、あなたはじっと覗きこむようにして、川を見つめていたのかもしれない。あなたを愛していた誰かが、すぐそばにいた。あなたに触れようとしていた。触れられるまえに、あなたにはもうその感じがわかった。そして、それから、あなたに触れた。
 それがわたしの名前だ。
 それとも、こういうことだっただろうか。ずうっと遠くで、誰かがあなたを呼んでいた。その人たちの声はなんだか木霊みたいに聞こえた。
 それがわたしの名前だ。
 寝床に入って、横になっていたのかな、もうちょっとで眠ってしまうところだったのだが、あなたはなにかのことで笑った。ひとり笑い。一日を終えるには、これはいい。
 それがわたしの名前だ。
 それとも、なにかうまい物を食べていたんだが、なにを食べているのか度忘れしてしまった。でも、うまいな、と思いながら食べ続けたとか。
 それが私の名前。
 ひょっとしたら、もう真夜中で、ストーヴの火が鐘の音のように鳴っていたとか。
 それがわたしの名前。
 それとも。かの女が例のことについて触れたので、あなたは気持が鬱いでしまった。誰か別の人に話してくれればよかったのに。かの女の悩みごとのことをもっとよく理解できる誰かに話してくれればよかったのに。
 それが私の名前だ。
 鱒は瀞*1で泳いでいた。ところが、その川ときたら巾が八インチしかない。月がアイデスを照らし、西瓜畑は異様なほどに暗い輝きを放つ。月はまるで植物の一本一本から昇ってくるようだった。
 それが私の名前だ。
 そしてわたしは、マーガレットがわたしにかまわないでいてくれたらいい、そう思っている。

*1:本書の表記は旧字体、すなわち、さんずいに靜