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角田光代 『八日目の蝉』

書評

八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫)

 胸がぎゅうと締め付けられる思いがした。抱き締めたくなるほどに好きな小説だ。

 この作品は、2つの章からなる。

 第1章では、野々宮希和子という女性が、かつての不倫相手の赤ん坊を拐う。希和子は赤ん坊を「薫」と名付け、3年間、逃亡を繰り返しながら、自分の娘として、命懸けの愛情を注ぐ。小豆島から更なる逃亡を図るところを逮捕されるまで。

 第2章では、希和子が「薫」と名付けられたところの幼女―すなわち秋山恵里菜―が、大学生になり、4歳から大学に入るまでの、秋山家での窒息しそうな体験を回想する。恵里菜は、情緒不安定な母と無力な父の中にあって、完全には元の家族には溶け込めない。それでも同時に、彼女は今の家族は「どうしようもなく」自分にとっては家族なのだと肯定するようになる。同時に、忘却させられてきた、希和子に育てられた日々の記憶を緩やかに回復させ、受容し、あたかも希和子の叶えることのなかった運命と夢を辿るように小豆島へと向かう。

 
 人は誰しも、自らが選んだわけではない過去や運命に規定され、程度の差はあっても、その過去に囚われて生きている。この小説は、この事実を追究し、その残酷さを希望にまで昇華している。希和子は、不倫相手との間にできた子を堕胎するよう迫られ、後にその相手と結婚できるのならばと言われる通りにする。それなのに、不倫相手は、妻との間に恵里菜(薫)を儲け、希和子は捨てられる。そして、恵里菜は、4歳までの育ての親である希和子の運命を辿るように生きる。無責任な男を愛し、不倫をし、子を儲ける。相手は離婚をするほどの覚悟はないようだ。恵里菜は、きっぱりとその男を捨てる。恵里菜は、「美しい緑を、海を、花を見せてやるため」その赤ん坊を一人で産み、育てることを決意する。恵里菜は、希和子の運命を辿るように生き、しかし、その悲惨な囚われを独りで断ち切り、緑が眩しく、海が輝く小豆島へと渡る。クライマックスの、互いに気づくことのない希和子と恵里菜(薫)との邂逅のシーンでは、目に泪が溢れた。

 蝉は成虫になってから7日しか生きないという。そうであれば、それはどうにもならない運命だ。仮に、ある蝉に8日目の生が与えられたら、その蝉は、他の皆が死んだ中で孤独だろうか。そうかもしれない。しかし、彼女は、余分な生がたとえ1日だけであっても、どうにもならなかったはずの運命の外側にはいる。彼女は、讃歌のような太陽を浴びて、映える緑を見渡すことができる。それは、かけがえのない、奇蹟のような恩寵なのだ。