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網野善彦 『日本の歴史をよみなおす(全)』

書評

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

 私たちの、中世日本への先入観を瓦解させてくれる好著。抜群に面白い。

 私たちは、多くの場合、政権の中枢にある人達の権力争いを、歴史そのものと誤解しがちだ。そして、中世の日本であれば、大部分の庶民は、土地に縛り付けられた貧しい農民であった…私たちはそう思い込んでこなかっただろうか。

 しかしである。たとえば、中世にも「非人」と呼ばれる人たちがいた。彼らは、私たちが小学校で被差別部落の教育を受けたときに現れるような、あの無力でみじめな「非人」ではまったくない。中世の非人は、ケガレ(人間と自然の間の均衡の崩れ。典型的には死や出産。人の力を超えた現象として大いに畏れられていた)を取り除く職能を持った人々として組織的に活動していた。天皇は特にケガレを忌避するから、彼らは検非違使庁に直属で活動することもあった。非人たちは、神仏のための清めの仕事を行なってきたことを誇りともしていた。

 あるいは、女性の問題。日本では中古から家父長制が根付いていたというのが、一般に流布した先入観ではなかろうか。けれども、女性は(アニミズム信仰もあったのだろう。おそらく聖なる存在と捉えられていたのもあって)、少なくとも中世には、それなりの地位をもって社会で活動していた。土地を所有し、売買することさえあった。

 市場(市庭 いちば)の誕生について触れた箇所と、日本の活発な海上交易に触れた箇所は、本書の白眉だ。まずは前者について、少し長くなるが、大変に興味深い指摘なので引用しよう。

 商業や交易という行為そのものについて、最近ではいろいろな角度からの議論がおこなわれていますが、モノとモノとを商品として交換するということは、ある時期までの社会では、普通の状態では実現できなかったことだと思うのです。モノとモノとを交換する、人と人とのあいだでモノが交換されることは、いわゆる贈与互酬の関係になります。そのように贈りものをし、相手からお返しをもらうという行為がおこなわれれば、人と人との関係は、より緊密に結びついていかざるを得ないことになってきます。これでは商品の交換にはなりません。ではどうしたらモノは商品として交換されうるか。
 この問題について、勝俣鎮夫さんが非常に面白いことをいっておられます。モノがモノとして相互に交換されるためには、特定の条件をそなえた場が必要なので、その場が市場である。市場においてはじめて、モノとモノとは贈与互酬の関係から切り離されて交易をされることになるのではないか。市場は、その意味で、日常の世界での関係の切れた、私流にいえば「無縁」の場として、古くから設定されてきたのではないか、と勝俣さんはいっておられます。
 たとえば虹が立つと、かならずそこに市を立てなくてはならないという慣習が古くからありました。これは平安時代の貴族の記録にも出てきますし、室町時代にもまだその慣習の名残りが残っているのです。たとえば藤原道長の邸宅のなかで虹が立ったので、そこに市を立てて交易を行なっています。虹が立った場所など本当はわからないはずですけれども、ともかくそのようにしなければならなかったようです。
 勝俣さんは、虹の立つところに市を立てるのは、日本だけではなくて、ほかの民族にもそういう慣習があり、それは虹が、あの世とこの世、神の世界と俗界とのかけ橋なので、そこでは交易をおこなって神を喜ばせなければいけないという観念があったのではないか、といっておられます。そしてこれによってもわかるように市場は、神の世界と人間の世界、聖なる世界と俗界との境に設定される、と指摘しておられます。
 これは私もまったく同感で、実際、日本の社会では、河原、川の中州、あるいは海と陸との境である浜、山と平地の境目である坂などに市が立つのが普通です。このように市の立つ場は独特な意味をもった場なのですが、そうして開かれた市場は、日常の世界とはちがい、聖なる世界、神の世界につながる場と考えられていました。
 そこにはいると、モノも人も世俗の縁から切れてしまう。つまり「無縁」の状態になるのではないかと思うので、そうなった時にはじめて、モノとモノとを、まさにモノそのものとして交換することが、可能になるわけです。いいかえれば、市の場では、モノにせよ人にせよ、いったん、神の世界のものにしてしまう。また別のいい方をすれば、だれのものでもないものにしてしまう。そのうえでモノとモノの交換がおこなわれるのではないかと思うのです。
 どこの社会でも、市場の本来的な原理はたぶん同じだろうと思います。ですから、市場では俗界の人と人との関係も切れてしまうので、そこは、「歌垣」の場になります。妻も夫も俗界の縁が切れるので、一人の女、一人の男として自由に交渉が出来る場として、神の祭の場などのあったことがよく知られていますが、市場も同様だったようです。日常の世界、俗界から、モノも人も縁が切れるという状態ができて、はじめて商品の交換が可能だったのではないかと考えられるわけです。(pp.56-59)

 本書のもうひとつの白眉は、日本の古くからの海上交易について触れた箇所だ。その前提として、私たちは、頭に染み込んだある常識から自由にならなければならない。それは、「百姓=農民」という思い込みである。元来、百姓はその文字通りの意味(百の姓)を考えてみれば分かるように、「普通の人々」を指す言葉であり(現代中国語でもそうだ)、農民はその一部でしかない。そして、中世には既に、海と川を使った交易路が非常に発達していて、百姓の多くが商工業に携わり、瀬戸内海や日本海、日本中の河川の交易路を用い、富を築いていた。また、西日本は、中国の江南や朝鮮半島との交易が盛んであったし、東日本、北日本には北東アジアの文化が海路を通して流入した。中世の権力者は、皇室も含め、ひとつの箇所だけに巨大な荘園を持つのではなく、海上交易の要所を着実に押さえていた。鎌倉時代には貨幣経済が浸透し(もっとも、西日本では、コメの流動性が長く残り、東日本よりも遅れる)、手形や為替の制度ができあがっていたほどに経済は発達していた。当時の政治経済を考えるにあたって、貴族が荘園の小作農からコメを取り立てていたという理解だけでは、到底、この時代の多様な文化、政治のダイナミズムを理解するには覚束ない。

 日本中世の社会の、何と多様なことか。ぜひ一読して、瞠目してほしい。