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創作

(2009年9月5日に書いた小さな物語です)

森の中の小川のせせらぎを、一匹の蛙が一葉の舟に乗って、流れに逆らって進んでいた。しとやかな雨が降っていた。
道なき道を、鉈でざくざくと蔓を払い、藪を掻き分けてきた旅人は、足を止め、凝然と蛙に見入った。
蛙はひたすらに小さな棒切れで舟を漕いでいたが、旅人に気づくと、舟を漕ぐのを止めた。流れは舟を淀みへと運び、舟は止まった。
「こんにちは」
と旅人を見上げて蛙が言った。
「こんにちは」
と蛙を見下ろして旅人も言った。
「井戸に行くんです」
と蛙は言った。
「井戸は、僕たちの墓場です。丸い井戸で、周りに石の囲いがあります。深さはそんなにありません。5メートルといったところでしょうか。朽ち果てた井戸です。昔は人間が使っていたんでしょうが、今では使う者はいません。水が出ないんですから。井戸の底には、蛙の骸骨が無数にあるんです。形が崩れたのもありますが、たいていは、そのまま、そう、蛙の形のままでずっと残っています。真っ白な骸骨です。2つの眼窩が、どこでもない場所を見すえています。そういうのが、井戸の中に散在してるんです。『骨のように乾いた』(dry as a bone)というのは、人間がよく使うことばですね。ねえ、骨というのは、ほんとうに、からからに乾いているんですよ。井戸は枯れています。夥しい蛙たちの骸骨も、からからです。ときおり雨が降って、骨は洗われ、黒い土から雑草が芽を吹きます。そんな場所です」
「君は…そう、君は、これから死ぬのかい?」
「そうです」
「どうして?」
「蛙は、そうですね、潔いと言ったらよいのでしょうか。死ぬのを怖れたり逡巡したりしないんですね」
「死期が近いことを悟ったの?」
「そうですね。それもあります。目もあやな翡翠色の身体は、今ではくすんで醜い深緑。つるっとした真っ白なお腹はたるんできました。ジャンプができなくなって、虫が捕まえられません。それでね、井戸のことを知って、そりゃ、孤独に死ぬよりは、同胞の蛙たちと死ぬほうがいいと思ったんです。蛙というのは、孤独な生き物です。産まれるときは、たくさんのきょうだいと一緒に卵で産まれてきますけど、でも、人間と違って、母親の無償の愛だって知らないし、父親の理不尽な厳しさだって知らない。きょうだいのほとんどは、おたまじゃくしのうちに、あの、いまいましい魚というやつに食べられてしまいます。運よく蛙になれても、いつもひとりぼっちで、蛇や鳥にびくびくしてなくちゃいけません。ねぇ、白骨化したあまたの蛙がいる井戸って、すてきだと思いませんか。僕たちの記憶は、ひっそりとそこに蓄積されているんだ」

旅人は、母親も父親も亡くしていた。きょうだいはいない。母親の愛情に浴した記憶も、父親の不条理な怒りに涙した記憶もない。妻はおろか、恋人もいない。友だちの葬式に出たこともないし、自分の葬式に来てくれる友だちもいない。旅人もまた、孤独だった。おれの記憶はどこに蓄積されるのだろう。記憶が断片的に浮かんできた。ある記憶はくっきりとした輪郭をもち、ある記憶はぼやけていた。記憶は、時計の時間のように単調ではなかった。それらは濃淡があり、思い出される順序はてんでばらばらだった。

「君と一緒に井戸に行きたい」
と旅人は言った。
「それは、だめです。あなたがいると、死ねない」
と蛙は言った。