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渡辺哲夫 『死と狂気―死者の発見』

書評

死と狂気 (ちくま学芸文庫)

死と狂気 (ちくま学芸文庫)

 

 本書は、末木文美彦『仏教vs.倫理』という著作の中の引用で知った。

 副題の「死者の発見」の指す「死者」とは、私たちが、たとえばお墓参りをするとき、あるいは祖先をしみじみと想うようなときに、ほとんど無意識的にその存在を感じる、あの死者のことである。あるいは、私たちの使う言語構造をア・プリオリに決定し、贈与してくれた、死者たちである。

 ところが、著者によると、狂気の人の多くにとっては、死者が存在しないという。そして、このことは必然的に、死者のいない生を生きる彼らの内部において、ほんらい死者によって構造化されていたはずの言語体系を解体し、独自の新しい言語(体系)―著者が「ネオ・ロゴス」と名づけるもの―を生み出す。さらに、自律運動を始めたネオ・ロゴスは、彼らの存在を破壊してしまう、あるいは、彼らを「殺し」、生ける「死人」「死体」(死者ではない)にしてしまう。

 精神科医である著者は、自身の臨床体験で出会った6人の狂気の人を引き、彼らの体験と独自の言語世界を分析しながら、この戦慄すべき過程を描いている。分析と執筆は、著者自身をも打ちのめすほどの過酷な体験であったに違いない。論理的な限界を感じた箇所(特にいちばん最後に紹介される患者についての分析)もあったが、既存の精神分析学に限界を感じた著者が、ほとんど自らの臨床体験と直感だけを頼りに、「死者」と「狂気」をめぐる問題系を提起した意義は大きいはずだ。少なくとも私は、著者の誠実さに胸打たれたし、狂気の人たちのことばに、自らの存在の不確かさを掬われるようで、ほとんど慄然と、といってもいいほどに不安にさせられた。