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岩井俊二 『ヴァンパイア』

映画評

 インターネットで自殺志願の女を募り、彼女たちの血液を抜いて、その血液を飲む…。これはもちろん、利他的な自殺幇助では全然なくて、歪んだ性欲の発露、利己的な行為に違いない。実際、ウェブサイト上で、「ヴァンパイア(吸血鬼)」と名指される彼自身、それに付け入り、あたかも自分自身も集団自殺を遂げるつもりなのだと嘘を言い続けていた。本当は、そんな気などない…生きて彼女たちの血液を飲むつもりなのに。

 とは言っても、ウェブサイトで人を募り、彼女たちの血液を飲むというのは、倒錯してはいるが、セックスすら超えた、究極のコミュニケーション、究極の他者への近接と理解した。実際、ウェブサイト"side by cide"で「ヴァンパイア」と呼ばれる彼と、彼のもとに集ってくる、死にたい女性たちは、集合的に、孤独に苛まれている。(もちろん彼女たちは自分たちの血液が、彼の咽喉を通過することを知らないだろうが)。自殺に際して、介在すべき他者をウェブサイトで求めるほどに、孤独を訴える行為があるだろうか。そして、血液を飲むほどに、他者と密接に接続しようとする行為があるだろうか。私はここに、ウェブが逆説的に顕在化させている、今日の集合的孤独を見出さずにはいられない。

 ところが、彼は、自殺を幇助するはずであった―が未遂に終わった―女性から、本来的な愛の一端を受け取る。それは、生きることへの無言の励ましだ。彼の内部は変容していゆく…。

 ヴァンパイアは生物の教師であるが、彼の学生―蒼井優演じるミナ―が自殺を試みる。彼は、彼女の命を救うために輸血をする。ここで、私たちは彼の決定的な変化に思い至る。これまでの、自殺志願者の血液を飲み干すという、利己的で倒錯した行為が、輸血という究極の利他的な行為へと―奪うことが与えることへと―逆転しているのだ。輸血という行為から、私たちは次のことへも聯想を働かせずにはおれない。すなわち、自らの血を与えて他者を救うことができるほどに、私たちは同じ人間であって、この世界で結ばれているのだ、ということに。

 血液は人体の8%しか占めないそうだ。意外と軽い。それでも、命の端的な象徴である血液は、ふわふわと跳びまわる真っ白な風船ほどには軽くないのだ。私たちは、自らの血液の重みを抱擁しながら、それでも、軽やかにバレーを踊ることだってできるのだ。

 「夢の中で死んだことがない」と女が言う。
 「これが君の夢でなくて、僕の夢だったら?」と吸血鬼が言う。