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メル・ギブソン監督 パッション・オブ・ザ・クライスト 岩井俊二監督 ラブレター

映画評

The Passion of the Christ(『パッション』)10月3日鑑賞


 邦題は『パッション』。英語で、the Passionは、イエス・キリストの受難を表す。メル・ギブソン監督のアメリカ映画だが、セリフはすべてラテン語とアムル語。当時の空気感を、イエスの存在感を立体的に蘇らせている。

 キリストの磔までの12時間を描く。イエスを十字架に架ける直前に、ほとんど死ぬほどに激しい鞭打ち(皮膚が破れ肌はどろどろに血塗られていた)がされる。観る者のほとんどは、目を背けずにはいられない残酷さだ。そして、息も絶え絶えのイエスは、自らが処刑されるための重い十字架を、屈辱的にも自らで丘の上まで運ばされる。それでも、イエスは、(なぜ自分がと苦悩しながらも)罪を与える者たちのために、神に赦しを請う。「神よ、お赦し下さい。この者たちは自分がしていることを分かっていないのです」と。

 観る者は、自らの信仰に関わらず、イエスの敬虔さが、崇高な行為へと昇華していることに、胸を打たれるだろう。実際、私は、この映画を期にプロテスタントキリスト教の信仰を持つようになった女性からこの作品について教えてもらった。ただ、イエスへの折檻は苛烈を極め、極めて残酷であるから、もし観るのであれば覚悟しておいた方がよい。

Love Letter 10月10日鑑賞

 ラブ・レターというのは、普通は愛し合うものの間で交わされるものだ。ところが、この映画では、文通(古き良きことばだ)は、互を知らぬ女同士の間で行われる。彼女たちの共通項は、ひとつ。すでに亡くなった、同じ男にかつて愛されていたこと。もっとも、片方の女性は、婚約者であった男の死の悲しみから抜けられずにいて、もう片方の女性は、中学生のとき自分が彼に愛されていたことさえ知らない。彼の死を知らされることもない。

 ふたりの「ラブ・レター」の交換を通して、過去が、死者が、画面に蘇る。美しい音楽と映像は、岩井俊二のすべての映画に共通しているが、岩井俊二はこの初期の作品から、音楽と映像の美しさで観る者を酔わせ、爾来、そのスタイルを変化させ進化させてきたのだ。
 すばらしくて、せつなくて、ぽろぽろと涙がこぼれた。

 舞台は折しも神戸と小樽。神戸は僕自身の街だ。1995年の映画であるから、地震のことを思い出さずにはおれなかった。僕はまだ中学1年だった。

 そして、僕自身も、手紙を書く女性と同じように、中学3年で父を亡くし、それでも気丈にふるまっていたのだ。

 過去はいつも甘やかで、死の悲しみは澱のように心の下で静かに眠っている。岩井俊二の映画は、そうした心の底の部分を優しく刺戟し、覚醒させる。傷つけられることも、苦しくなることもあるが、それでも、深いところで心が共鳴し合うような心地よさがある。