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チェーホフ短篇集 沼野充義訳

書評

新訳 チェーホフ短篇集

新訳 チェーホフ短篇集

 さまざまなテーマの―したがって、それらの魅力も多岐に渡る―13の短篇が所収されている。それぞれの短篇がチャーミングで、胸を焦がされるような思いがした。

 『いたずら』(従来は『たわむれ』と訳されることが多かった作品)では、初心な(うぶな)女性の恋が、主人公のユーモラスないたずらとともに、鮮やかに描かれていた。そして後に、その恋といたずらは、追憶であることが明かされる。一見軽妙なのに、人生のほろ苦さまで包含してしまうチェーホフの筆致は圧巻だ。

 『ワーニカ』や『牡蠣』、『ねむい』は、貧しい子供を描いた作品。実は私自身、大人になってからは、子供を描いた作品はほとんど読んでこなかっただけに新鮮だった。どちらも、幼い子供の言葉や考えが、これまた軽妙に描かれつつも、『ワーニカ』や『ねむい』は、19世紀末のロシアの貧しい子供の絶望的な悲劇が活写されているし、『牡蠣』には、むくむくと膨らむ子供の想像力の過程が刻々と描かれていて、凄みを感じた。

 『ロスチャイルドのバイオリン』や『奥さんは子犬を連れて』(従来の訳は『子犬を連れた奥さん』)『せつない』(従来の訳は『ふさぎの虫』)など、大人の、死や愛、貧困を描いた作品もある。どれも、胸が詰まるような思いがした。

 チェーホフの短篇を私が愛するのは、その作品の多くが、ペーソスにユーモアを同居させることを忘れていないからだ。僕は時折短い物語を書いてみるが、こういう物語を書きたいと切に思う。ここに所収された作品のほとんどは、無上といってもいいほどの完璧な作品だ。

 そしてもちろん、忘れてはならないのは、訳者沼野充義氏の愛情溢れる丁寧な仕事だ。19世紀末のロシアの事情に、あるいはロシア語に疎い私たちのために、全ての短篇に数ページの解説を与えてくれている。どれも、時代背景や訳出の事情を知るためだけでなく、ひとつの書評として読めるほどに完成されたものだ。沼野氏の解説がなければ、私は、この本をここまで愉しむことはできなかったのではないかと思われる。

 まるで日本語でそのまま書かれたような自然な翻訳にも脱帽。装丁も洒脱で、ちょっとしたプレゼントにも最適です。