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バズ・ラーマン監督 『華麗なるギャッツビー』

 小説を元にした映画というのは、往々にしてその小説の読者にがっかりされるものだ。

 しかし、この映画『華麗なるギャッツビー』は、原作の小説を愛する僕にとっても大満足の作品だった。

 1922年のニューヨーク。アメリカは空前の好景気を謳歌していた。富は溢れ、快楽主義がかつての道徳に取って変わりつつあった。「ジャズ・エイジ」と呼ばれる時代だ。

 この時代に、贅を尽くして、毎夜パーティーを開く男がいた。J.ギャッツビーだ。彼の贅沢の目的は…長年会えぬ一人の女性への想いだけであった。

 あまりに一途で、ばかばかしいほどに純粋なギャッツビーの悲哀は、思い起こすたびに胸を打つ。あるいは、控えめな語り手であるニック―彼はもう、この狂乱にうんざりしていた―のこの言葉。

 'They're a rotten crowd,' I shouted across the lawn. 'You're worth the whole damn bunch put together.' 
(「みんな糞みたいなやつだよ」と僕は芝生越しに叫んだ。「あのくずみんなを一緒くたにしても、君ほどの価値はないね。」(拙訳))

 ここで、ギャッツビーは、すてきな、あまりにすてきなほほ笑みをたたえるのだ。L.ディカプリオはやはり一流の俳優だ。

 ギャッツビーの運命に翻弄される語り手ニックは、ギャッツビーがそうであるのと同じように、作者S.F.フィッツジェラルドの分身なのだ。そこに、僕たちは物語の深淵を見る。


 最後に物語の前書きと冒頭を紹介して、この紹介文を締めくくりたい。

小説序文

 もしそれが彼女を喜ばせるのであれば、黄金の帽子をかぶるがいい。
 もし高く跳べるのであれば、彼女のために跳べばいい。
 「愛しい人、黄金の帽子をかぶった、高く跳ぶ人、あなたを私のものにしなくては!」
 と彼女が叫んでくれるまで。
          ―トーマス・パーク・ダンヴィエリ 村上春樹


小説冒頭(この語りはギャッツビーのことを回想するニックのものだ。非常に美しい英文として名高い)

 僕がまだ若く、もっと傷つきやすかった頃、父は僕にある忠告をしてくれた。以来ずっと、僕はその忠告を心のなかで反芻している。
 「おまえが誰かを批判したくなった時にはだな」と父は言った。「世界の皆が、おまえのように恵まれているわけではないってことを思い出すんだよ」
 父はこれ以上を語らなかったが、父と僕はいつも多くを語らなくても互いをとてもよく理解できたから、僕には、父が、言外に多くの意味を込めていることが分かった。…(拙訳)

 In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I've been turning over in my mind ever since.

'Whenever you feel like criticizing anyone,' he told me, 'just remember that all the people in the world haven't had the advantages you've had.'

He didn't say any more, but we've always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that...