読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

安部公房『砂の女』 

書評

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 安部公房の『砂の女』を再読した。

 昆虫採集を趣味とする、教師である男がいた。かれは、砂に惹かれ、砂原に住むハンミョウに惹かれ、ひとり砂原を歩く。

 日が暮れ、もはや帰途につけなくなった男は、行きずりの部落で宿を借りることにする。あてがわれたのは、ひとり女の住む、砂原にぽつりと空いた穴の底の一軒家だった。

 翌朝、男は帰してもらえない。昨夜はあった縄梯子は取り去られていた。男には、女と生活を共にし、家屋が砂で埋まらないように砂掻きをすることが期待されていたのだ。

 男はしゃにむに脱出しようとするがなかなか成功しない。男に待つ運命は…?


 非現実的な設定ながら、同時に、徹底的にリアリズムを追求して書かれた小説として読めるのは、多くの評者の言うとおりだ。公房は、冷徹な観察眼を保ちながら、物語を駆けさせる。読者を置いてけぼりにするほどの勢いで。私達はいつの間にか、砂穴のなかの家屋で繰り広げられる悲喜劇が、とおく現実を離れたものであることを見失う。

 もうひとつ付け加えておかなければならないのは、随所に見られる周到な比喩表現だ。これらは、作品の単なる彩りであるにとどまらない。むしろ、これらの表現があってこそ、男の切迫感が、まばゆい日光が、砂の熱気と喉の渇きが、水の潤いが、男と女の欲情が、私達の眼前で顕在化するのだ。

 
 あれほど必死に逃げようとしていた男はしかし、一度決定的なチャンスで失敗した後、季節の移ろいとともに次第に変貌をする。

 男は、自らも気づかぬうちに、萎えてしまったのだ!

 
 人は絶望の中で希望を枯渇する。しかし、いざ絶望を抜けだすと、虚脱する。

 なんと逆説的で、なんと皮肉で、なんと精確な人間診断であることか。