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矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』

書評

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

著者はこの分野の専門家ではないが、多くの公文書や国内法、国際法、条約を参照しつつ、平易な「です、ます」調の筆致で、透徹した議論を展開している。

なぜ、日本は、「基地」と「原発」を止められないのか。そこには、敗戦国日本と戦勝国米国との間の歪な力学があった。そして昭和天皇をはじめとした日本人自らが、その歪な構造の保持に加担してきた歴史があった。

例を挙げよう。米軍機は沖縄県民の住宅の真上を低空飛行する権利があるし、実際にしている。危険であるから、在日米軍の住宅地域では決して行わないにもかかわらず。(日米地位協定の締結にもとづいた国内法である「航空特例法」)それでは、沖縄県民の基本的人権日本国憲法で守られないのか。守られない。砂川事件最高裁判決で持ち出された「統治行為論」(「簡単に言うと、日米安保条約のような高度な政治的問題については、最高裁憲法判断をしないでよいという判決」)があるから。驚くべきは、2008年に、「砂川裁判の全プロセスが、検察や日本政府の方針、最高裁の判決までふくめて、最初から最後まで、基地をどうしても日本に置きつづけたいアメリカ政府のシナリオのもとに、その支持と誘導によって進行した」ことが、アメリカの公文書によって明らかになったことだ。また、本書では、昭和天皇が、「沖縄(および必要とされる他の島々)に対するアメリカの軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期リース―二五年ないし五〇年、あるいはそれ以上―というフィクションにもとづくべきだ」との考えを示していたことも紹介される。(進藤榮一氏が発見したアメリカの公文書)。そして「原発」の問題。2012年6月27日に改正された原子力基本法第二条第二項。「前項(=原子力利用)の安全の確保については、(略)わが国の安全保障に資することを目的として、行なうものとする」とある。これは、原発の安全性に関する議論が、最高裁憲法判断の枠外に移行することを意味する。(原発の設計許可や安全性審査については、本書で紹介される「裁量行為論」「第三者行為論」も参照のこと。)

著者は、中道リベラルを自認している。アメリカとの不平等な関係に憤っている。米軍は日本から完全撤退すべきだと信じている。そして、私達自身が、真に民主的な憲法を書くべきだと主張している。そうした主張に私は賛意を表明するし、また拍手を送りたい。

安倍政権は、歴代内閣の現行憲法の解釈を無視し、集団的自衛権の行使が認められるとした。さらに、特定秘密保護法を施行させた。それらがアメリカの軍事戦略の一環であることは想像に難くない(と私は思う)。私は、日本と米国との対等な関係を望む。そして、自民党草案のような前時代的な「憲法」ではない新しい憲法、また、米国との条約や密約、「解釈改憲」で空文化した現行憲法に代わる、新しい憲法を創るという壮大な夢に共感するひとりだ。