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マリオ・バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』

書評

若い小説家に宛てた手紙

若い小説家に宛てた手紙

若い、小説家志望の人に手紙を通して語りかけるという設定で、小説というものの仕組みが、テーマ別に易しく書かれている。語られるのは、「説得力」「文体」「語り手、空間」「時間」「現実のレヴェル」「通底器(ちがった時間、空間、あるいは現実レヴェルで起こる二つ、ないしはそれ以上のエピソードが語り手の判断によって物語全体の中で結び合わされること 本書p.137)」など、基本的なことに限られる。「異化」や「転移」など、ほんの少しだけ専門用語が出てくるが、大江健三郎の『新しい文学のために』などに比べると専門的では全然ない。小説家志望の人はもちろんだが、小説、世界文学に興味のある人全てに強く薦めたいと思う。

バルガス=リョサラテンアメリカ出身の作家ということで、本書には、ラテンアメリカ文学が随所に登場する。ガルシア=マルケスはもちろんのこと、ボルヘスコルタサルといった具合だ。また、作者は、フローベールカフカ、フォークナーらへの尊敬を隠さない。本書にはたくさんの作家のたくさんの作品が登場するが、それらのどれもが(大半は未読であるにもかかわらず)、何と魅力的なことか。

少し長くなるが、バルガス=リョサの、作家としての覚悟を引用しよう。(本書p.16)

文学の仕事というのは、暇つぶしでも、スポーツでも、余暇を楽しむための上品なお遊びでもありません。他のことをすべてあきらめ、なげうって、何よりも優先させるべきものですし、自らの意志で文学に使え、その犠牲者(幸せな犠牲者)になると決めたわけですから、奴隷に他ならないのです。パリに住んでいた私の友人の場合がそうであったように、文学は休むことのない活動に変わります。ものを書いている時間だけでは収まらず、そのほかすべての仕事にまで影響を及ぼして生活全体を覆い尽くしてしまいます。つまり、文学の仕事というのは、あの長いサナダムシが宿主の体から養分をとるように、作家の生活を糧にし、そこから養いをとるのです。フローベルは、「ものを書くのはひとつの生き方である」と言いました。これを言い換えると、ものを書くというのは美しいが、多大の犠牲を強いるものであり、それを仕事として選びとった人は、生きるために書くのではなく、書くために生きるのである、となるでしょう。

私は、バルガス=リョサにすっかり魅了された。次は、代表作の『緑の家』を読み進めていくつもりだ。

緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)