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Japan's Naive Nationalism(日本語訳)

 私自身はテレビを全く見ないが、日本の「独特さ」を特集したテレビ番組が日本の人たちの間で大いに人気であるそうだ。テレビ関係者は、国家への帰属意識を視聴者に植え付けようと躍起になっているようだ。もっとも視聴者の大部分は、コインの裏面にはほとんど注意を払わないのだが。

 そうは言っても、村上春樹の言葉を借り、それを書き直すと、こういうことになる。「憎しみは愛の対極としてではなく、その一部として存在している 」。いったい誰が、憎しみの連鎖のすべてを邪悪な動機に帰することができるだろうか。日本でヘイトスピーチをする人たちは、国土への愛を隠そうとしない。イスラム過激派(私の見るところ、彼らはグローバル資本主義の申し子だ)は、アッラーの名のもとに、世界各地においてテロ攻撃を行っている。客観的な第三者の目からすれば、私たちの穏健な愛国心は、偏狭なナショナリズムと映るかもしれない。

 国家への純粋な愛といったものは存在するであろうか。するかもしれない。しかし、それはひょっとすると不安定なものであろう。ちょうど新生児が時の経過とともに死体へと変わるように、愛国心はときに憎しみへと堕落する。そういうものなのだ。たとえば、私たちが自分の国を愛しているとして、もし仮に、国土がテロリスト集団の標的にされ、多数の罪なき民間人が犠牲になったとしたら、私たちはどう思うだろうか。国を愛する気持ちに揺らぎはないかもしれないが、その愛はまた、憎しみそれ自体によって強化され、増幅されるであろう。

     11月13日にパリを襲った同時テロ以降、ヨーロッパとアメリカで、イスラムへの嫌悪が瀰漫している。多くの人がこの教条、すなわち排他主義を信奉しているが、それはまさに、彼らが自分の国を愛しているからである。

 もし人が、母国への愛を表明しつつも、この愛と憎しみの連続性について無自覚であるならば、その人の言い分は割り引いて聞いたほうがいい。ある高名な専門家が指摘したように、私たちに母国を愛するよう求めてくる人が、同胞への愛や寛容さにおいて優れていたためしはないのだ。

     日本は独特な国なのだろうか。確かにそうだ。他のどの国も独特なのと同じように、日本も独特なのだ。しかしながら、日本は、他の工業化した国々と同様、国民のナショナリズムと敵への憎しみを煽った歴史をもっている。

 独特さというのは、私たちが母国を愛する理由にはなり得ない。それはまさに、何かや誰かを愛するのに、理由など必要ないという理由に拠る。私にとって、日本の独特さを強調するテレビ番組は、感情的なナショナリズムを煽る意図をもったプロパガンダに過ぎないように思われる。