Taku's Blog(翻訳・創作を中心に)

英語を教える傍ら、翻訳をしたり短篇や詩を書いたりしたのを載せています。

シェイラ・ヘティ 『わたしの生は冗談』

THE NEW YORKER MAY 11, 2015 ISSUE に掲載された、MY LIFE IS A JOKE BY SHEILA HETI の翻訳です。

http://www.newyorker.com/magazine/2015/05/11/my-life-is-a-joke

わたしが死んだとき、それを見ているのは、周りに誰もいませんでした。それは、全然構いません。ひとりぼっちで死んじゃうのって、そして、そのとき周りに誰もいないのって、すごい悲劇だって思う人もいます。わたしの、高校のときのボーイフレンドは、わたしと結婚したがっていました。人生であるがべき一番大切なのは「見てくれる人だ」って彼は考えていたから。高校のガールフレンドと結婚して、その人と添い遂げる、それなら、いっぱい見てもらうことができます。大切なことは全部、一人の女性に見てもらえるのです。わたしは、彼の、妻とは何ぞやっていう考え方には辟易しました。妻とはつまり、傍に居て、人生が展開するのをじっと見ている人だって。でも、今では彼のことがまだ分かるようになりました。愛する人に自分の人生を見させておいて、毎夜それについて話を、なんてのはぜんぜん些細なことではありません。

わたしは、彼とは結婚せず、誰とも結婚しませんでした。別れたのです。一人で暮らしました。子供も作りませんでした。わたしだけが、わたしの人生を見ていました。彼は、結婚する女を見つけて、その女には子供ができるっていうのをいいことに、子供を一人もうけました。彼女の実家は大家族で、彼らの近くに住んでいました。彼の実家と同じです。一度彼らのところに行ったときは、彼の誕生日のディナーで、その子供を含めて、親族、近しい友人たちで三十人もいました。場所は、彼の奥さんの家でした。彼女たちが生活を築いている途中の、海沿いの町です。彼は、望み通りのものを手にしました。彼には、三十人の信頼できる「見てくれる人」がいるのです。たとえ、半分が死んだり、何処かへ越したり、彼を憎むようになっても、まだ十五人はいる算段です。彼が死ぬとき、彼は優しい家族に囲まれているはずです。彼にまだ髪の毛のあったときを覚えているであろう家族。へべれけで家に帰ってきて怒鳴り散らした全ての夜を覚えているであろう家族。彼のおかした失敗を全て覚えていて、でもそんなのはみんな差し措いて、彼のことを愛しているであろう家族。彼にとっての「見てくれる人」がみんな死んで初めて、彼の人生は終わるのです。彼の息子が死んで、その息子の奥さんが死んで、息子の子供らが死んで、それで、わたしの初めてのボーイフレンドの生は完結するのです。

わたしが息を引きとったとき、誰もわたしのことを見ていませんでした。わたしを轢いた車はさあっと走り去りました。別の車を運転していた人が止まって、わたしを道路の真ん中から脇へと動かしてくれたのですが、そのときわたしはもう死んでいました。だから、わたしはひとりぼっちで死んだと言っていいでしょう。


今や、わたしが嘘をついてることはたぶんお分かりでしょう。もしわたしがほんとうに、愛していた人が誰もわたしが死ぬのを見てくれていなかったことに満足しているのなら、どうしてわたしは黄泉の国からはるばるここへ戻ってきたのでしょう。どうしてわたしの躰という肉と、それから、この世での最後の日に着ていた服を身にまとったのでしょう。どうして生きていたときに話していた声を取り戻して再び語り始め、そしてどうして死んだときの体重に戻ったのでしょう。わたしは目と髪についた泥を落としまでして、歯を、口の中のそれらが撥ね落ちる前の場所に嵌めました。どうしてわざわざそんなことを?たいへんな手間でした。永遠に土の中にいることだってできたのに。もしわたしが、人生は解決済みだと感じているなら、朽ちていきながら、そこにいることだってできたのです。もし胸中で、何かが語られなければならないという不安がよぎらなかったとすれば、わたしは今でも土の中にいることでしょう。


つまりこういうことです。わたしとは冗談だったのです。わたしの生とは冗談だったのです。わたしが最後に愛した男―高校のボーイフレンドではありません―が、最後の喧嘩のときにわたしにそう言ったのです。そのときわたしは三十四歳でした。喧嘩の最中、わたしが自分の言い分を説明しようとしていたとき、彼は叫んだのです。「お前の存在が冗談だ!お前が生きてるのが冗談だ!」

その前の晩、わたしたちはまだ互いを愛していました。同時にベッドに行って、彼が流行りの犯罪小説を携帯で読んでいるうちに、わたしは彼の腕を優しく触りながら枕の上で眠りに落ちました。それから数日して、わたしは死にました。わたしが、彼の言ったことの意味をきちんと理解するのには、そのときから四年もの歳月を要しました。わたしとは冗談で、わたしの生とは冗談だということ。彼がそれを言ったときにはわたしはどう返していいのか分かりませんでした。ただ、わたしはひどく傷ついて、叫びました。でも、それは、彼に対して、彼の方が正しいということを示しただけでした。わたしは、大きく開けた口で彼を見据えました。もちろん、そのときには彼が非道いのには慣れていましたが、それでも、わたしは傷つきました。

今宵ここにお話にいらしてくださいという皆さんからの招待状をいただいたとき―わたしが死んだってご存じなかったのですか。ご存じなかったのですね―そう、皆さんから招待状を頂いたとき、最初はこう思いました。「だめ、行けない」 実のところ、行かない理由などありませんでした。でもそれから、数か月後にわたしは皆さんにメモを書きました。「わたしを掘り起こす代金をお支払いいただけるなら、行きます。わたしの死体を、埋められていたところから、飛行機でアメリカ大陸を横切って運んで、マイクスタンドのところまで車で運ぶ、それらの代金もお支払いいただけるなら、それなら、行きます」 飛行機の中では、言いたいこと―それだけがわたしがイエスと言った理由なのです―を死んだ脳に留めておくのに必死でした。わたしには、述べるべき大事なことがありました。それは何かって?わたしは、申し上げませんでしたっけ?思いというのは、死んだ脳からはほんとうにすぐに滑り落ちてしまうものです。わたしには、申し上げたかどうか思い出せません。

あそこで、地の下で横たわっていて、塩と土と汗とミミズたちと芽の生えてきた種と若木と乾いた鳥たちの骨がわたしの口に集まってきて、血は干からびて、足指はねじ曲がって、そして、いったい何なのか分からないけれど、とにかく土に斑を描く小さくて白い玉―そう、発泡スチロールの小球でした―と犬のうんち、スカンクのおしっこ、それから芽生えた種と若木とどんぐりと干からびた葡萄。そこで、つまりあの完全な濡れた暗闇にあって、ものを考えられたことは驚くべきことです。

ご存知ないでしょう、地中に横たわっているとき、どんなことが頭から離れないかを。お墓まで持って行ける思いはたった一つだけで、それは必然的に、苛立たしいものなのです。安息が訪れるまでずっとずっと、考えられなければならないもの。わたしがお墓に持って行った思いは、愛する男が「お前の存在が冗談だ、お前が生きてるのが冗談だ」と言ったことについてのものでした。それは、わたしの頭と筋肉と骨に膠着して、ついにはわたしは、そのことばでしかないものになってしまいました。わたしの命が内側に崩れたとき―死とはそういうものなのです、命はそれ自体の内側深くへと崩れるのです―あのことばは、崩壊の外側で、残っていました。それはわたしを離れたものになりました。そして、それがわたしを離れたものであるから、わたしはそれを持って行くことができたのです。唯一の持ち物でした。

お水を一杯頂いてもよろしいでしょうか。わたしのお水はどこですか。わたしはすごく喉が乾いていて、そして、死んでいます。明日は、飛行機です。それから、手荷物全て、骨の髄にある安らぎを携えて、墓の下です。ここに宣言しに来たことを宣言してしまった後で。それは、わたしが地中にいたときに見出したことなのです。それで、わたしは永久(とわ)の眠りに就くでしょう。もう自分の汚れを払い落とす必要もなくなるでしょう。

わたしとは冗談で、わたしの生とは冗談だと言った男。彼は、わたしの最後の瞬間に立ち会って、わたしが息を引き取るのを見ていなかったかもしれません。でも、わたしには気づいたことがあるのです。彼はわたしの死を予告していたのです。彼はわたしを芯まで見通しただけで予告できたのかもしれません。わたしの魂を見た人となったことによって。彼があの非道いことばを言ったとき、彼はわたしの未来を見通しました。わたしが出くわすことになると彼にはわかっていた未来です。喧嘩のあいだ、わたしは彼に、それは間違いだということを分からせようとしました。「わたしは冗談なんかじゃない!冗談なのはあなたの方よ!」


人がバナナの皮で滑って死んだら、彼女の生は冗談です。わたしはバナナの皮で滑って死んだのではありません。人が、ラビ(訳注:ユダヤ教社会における宗教的指導者)と司祭と修道女と一緒に酒場に入っていって、そのように死んだら、彼女の生は冗談です。わたしはそんなふうに死んだのではありません。人が、道路のあちら側にたどり着こうと道路を渡る鶏で、そのように死んだら、彼女の生は冗談です。いや、わたしはそのように死んだのです。道路のあちら側にたどり着こうと道路を渡っている鶏として。

その日わたしが道路を渡ったとき、わたしが向かっていたのはあちら側でした。そのことなのです。どれほどの絶望を感じたことか。わたしたちの喧嘩は、まだわたしの心の中にありました。どうして鶏は道路を渡ったのでしょう。あちら側にたどり着くためです。自殺。あちら側とはすなわち死です。誰でもご存知のこと、そうでしょう?

わたしはあの錆びた古い車の前に飛び出しました。金属のかたまりにぶつかりました。歯はフェンダーに当たって喉の奥へと押しやられました。胸は、完膚なきまでに轢かれました。

わたしは皆さんをふさぎ込ませるためにここに来たのではありません。ある冗談をお話するために来たのです。いや、ある冗談をお見せするためにと言った方が正確ですね。わたし自身のことですよ!それから、わたしが見られていたことを自慢するために。あのわたしの初めてのボーイフレンド―彼が住んでいるところは、そこからそんなに離れてはいません。ひょっとしたら、聴衆の皆さんの中に紛れ込んでいて、聴いてくれているのでは?ビールは飲んでる?彼がここにいてくれるといいですね。はっきり言って、わたしの生と死はちゃんと見られていました!見られ、予告されたのです!皆さんの、わたしと同じく出来の悪いことといったら。結局、両者ともに勝ち、といったところでしょうか。

わたしは何という鶏だったことでしょう。生活のあらゆる側面が耐えられませんでした。特にあの古めかしい慣習。他の皆よりいい生活をしないとだめだなんて。あちら側ってどんなところだろうって、皆さん思ってらっしゃるかもしれませんね。わたしはここにいるのですから、お話するしかありません。みんなが常に笑っている、ふざけた場所です。それは、かつてわたしが、大陸横断の飛行機内で経験したことに似ています。横の女性が、どんな番組を見ても、その中のくだらない冗談のいちいちに声を出して笑うのです。文字通り、番組の全ての冗談にです。彼女はどんどんと番組を見ていきました。彼女の笑いは、わたし達の座席の横一列を包み込みました。彼女は離陸から着陸まで笑うことをやめませんでした。人の笑いの、何と忌々しいこと!世界の、声を出して笑う人はこのことを知らないのでしょうか。彼女たちは、それで愛らしくなるとでも思っているのでしょうか。誰が、ヘッドフォンを着けて画面に見入っている人のひとり笑いが聞こえてくるのを好ましく思うでしょうか。答えはおそらく、他人がホテルの壁の向こうでファックするのを聴くのにやぶさかでない類の人々です。

あちら側では、ずっとそんなふうなのです。犬は笑う、木は笑う、みんな笑う―可笑しいことがあるなしにかかわらずです。わたしは、あちら側で、十六人の聴衆を前にこのスピーチの練習をしました。始まりから終わりまで、四時間かかりました。一つの文を言うたびに、笑いが収まるのを待たねばならなかったからです。ここ、この世ではもちろん事情は異なります。生活の静けさは、いちばん大きな安心の一つです。死とは皆にとって平等なのでしょうか。それとも、この笑いの世界は、わたしだけのために拵えられた一個の死なのでしょうか。わたしにどうして確かなことが分かるでしょうか。

わたしの申し上げていることは筋が通っていますか。わたしは、語ることについては自意識が高いのです。声は問題ありませんか。死んだときに、思いを持って行くのは困難なことです。わたしの頭は今、原綿を詰められたようです。両目には、綿の玉を埋め込まれたようです。両耳も綿でふさがれたようです。ものを考えるのが、意味と意味を結びつけるのが困難です。わたしは、皆さんに愛してるって言うためにここに来たわけではわりません。そんな話をしているとでも?わたしがこれまでに愛した男性は、二人だけです。一人は、わたしと結婚したがり、もう一人は、わたしの生は冗談だと思っていました。わたしの初めてのボーイフレンドは「見てくれる人」を見つけられました。わたしも見つけたとここに宣言します。わたしは勝ったのですよ。わたしは勝ちました!わたしは、人が勝ち取ることのできる最上のこと―見られること―を勝ち取ったのです!今日ここでそのことを宣言します。それだけが、皆さんの前に立つために肉体へと這入った理由なのです。この舞台の上の冗談。彼のことばはもうわたしを傷つけません。むしろそのことばによって、わたしは誇りに思います。

どうして鶏は道路を渡ったのでしょう。その鶏はわたしです。わたしがその鶏なのです。そして、わたしはあちら側にたどり着くことができました。彼は、あのことばを言ったときには、こうなることは分かっていました。見られることはなんてすてきなんでしょう。