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フォークナー『熊』 William C. Faulkner "The Bear"

書評

熊 他三篇 (岩波文庫)

熊 他三篇 (岩波文庫)

 

 表題の中篇『熊』に加え、登場人物等関連した3作の短篇を所収する。

 本書の中心を成す作品『熊』は、伝説となった大熊を狩る物語である。アイザックと名づけられた主人公の少年は、10の歳から大人の狩人の仲間入りをし、サムと名づけられた黒人男性に導かれながら、数年で森を知悉するようになる。仲間の男たち、犬たちと勇猛に熊を追い、最後は仕留める。その描写はスリリングで、その物語自体、果敢な男たちの1個の英雄譚である。

 だが、この小説は、逆説的にも、その熊狩りが、悠久の森の深遠さに飲み込まれ、融け込んでほとんど無化してしまうことをこそ描いているのだ。森が悠久であるとはつまり、脈々とほとんど無限に連なる死者に包まれてこそ彼らがいるということであり、死者とは森そのものである。死者の具現である太古の森は、登場人物を包み、駆動し、護り、慰撫する。そして、この物語は、その悠久の森における、火花のような一瞬のドラマなのだ。英雄譚を装いながら―「装う」という語は適切でない。じじつ、息を呑むような筆力でその英雄譚は雄弁に語られるのだから―、超越的な死者=森の前にあって、生者は圧倒的に無力に見える。そもそも、彼らは、なぜ命懸けで熊を殺すのか一見明確でない。主人公の少年は、熊を見る前から、空想ですっかり熊のことを想起できたとはいえ、銃を持たずに森に在って初めて、熊と出会うことができる。熊は銃を持たぬ少年を襲うことはない。それはあたかも、他者との出会いのようだ。そして、彼らが熊を仕留めるのは、いわば肉弾戦だ。結局熊を殺したのは少年ではなく、少年の仲間の男と犬たちだ。少年は、熊を傷つけることはない。熊が死ぬとき、時を同じくして、少年を大人の狩人へと育て上げた黒人老人サムも死ぬ。少年は、熊狩りを通して、真の意味で死者と出会う。それは、幼い頃から空想を重ねていた夢の死であり、憧れの、成熟した大人の死であった。この「通過儀礼」を通してこそ、少年は、森=死者の世界に融け込む。その中で生き、護られ、やがて回収されることになる世界だ。熊とは、その超越的な死者の世界に、主人公の少年アイザックを出会わせる媒介項であったのだ。