Taku's Blog(翻訳・創作を中心に)

英語を教える傍ら、翻訳をしたり短篇や詩を書いたりしたのを載せています。

震災の日に。29年前に失ったO君を想って。

 間をもたせるためだけの会話が途切れたときに、繕っていた微笑が引いていくように、垂れ込めた雲の間から溢れていた陽の光が淡く弱くなった。私の四肢は寒さで震えた。あの震災からほとんど30年になろうとしていた。私は「あの日」に腕を引かれるような感覚を覚えるようになっていた。

 

 何年も英語を勉強しているから、英語の「クリシェ」のようなものは否が応でも身についてくる。私が好きなのに、“open up a can of worms”というのがある。「(足のない)虫が詰まった缶を開ける」ということで、余計な災いをもたらすという意味の慣用句である。物語を、あるいは意味のある文章を書こうとするとき、私はときどきこのフレーズの物理的な意味を思い描こうと努める。缶のリッドを引き上げると、うじゃうじゃした、ミミズのような虫がうごめいていて、そういうのは、誰も見たくない、存在は知っているけれど、目にするのは誰にとってもたくさんだ。そんな「リアリティ」はいらない―そういう、歓迎されない、行動。私にとってものを書きだすのは、そういう虫の詰まった缶を開けてみることなのだろうと思う。なかなか外れようとしない自分の蓋を開けようとするには、不惑を過ぎてもまだ、思い切りというか、勇気が足りないけれど。

 

 1995年の1月17日、通わせてもらっていた塾で知り合った、同じ中学校に通う友人のO君を失った。血色が良くて、鼻にそばかすのある、聡明で、まだ声変わりもしていない小柄な少年だった。いつまでも13歳のかれに、何かを書いてあげられればと思う。毎年この日が訪うと、自らがあの日を経て、はるばるとこの日まで到ったことに感じ入ずにはいられない。宗教も霊魂も信じない無慈悲な心にも、その思いは痛切にこたえる。

 

 僕は、ほとんど30年も余分に君よりも生きてしまった。だから、何か余計なことを書いてあげられればと思うよ。生きていてくれたらよかったのに。あの憧れの学舎を出た後、言葉を交わすことがなかったとしても、それでも。