- 作者: 平野啓一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/11/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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生きていることの掛け替えの無さが、鮮やかに描かれたすばらしい小説。
ある事情で主人公土屋徹生は死んだ。彼には、妻が、息子があった。愛する母も、信頼する仲間もいた。徹生の死によって、それらの関係性は―つまり、徹生との生を生きていた、彼ら彼女たちの生の部分はいったん消尽した。しかしそれから三年後、どうしたことか、徹生は、復生して再びこの世に現れる。何故俺は死んだのか、これからどう生きるべきなのか…徹雄の悶々たる自省は、彼が拠って立つ周りの人達との相互作用で、氷解していく。
この物語に待つのは、幸せな結末ではなく、苦しく哀しい余韻だ。しかし、彼が愛する家族は、最後まで何と美しく描かれていることか。私が泣きそうになったのは、いつも徹雄の家族を通してであった。「生きたい!」―徹生のこのシンプルな強い思いに、私は強く共感し、救われる思いがした。
解明されない重大な謎がひとつ残った。「佐伯」という男は誰だったのか。彼は、主人公の徹生にだけでなく、我々皆に忍び寄りうる、死への暗い誘いを象徴しているようだ。彼が徹生にとって「父」であった可能性が示唆されているのはどういうことなのか。暫定的な答えだが、徹生は、私たちにいつまでも付き纏う象徴的「父」の影―ともすれば私たちの個人性を剥奪し、生に意味を賦与することを拒絶する暴力的な「父」の影―と最後まで闘っていたのではないか。この「父」は徹生にだけ現れた種類のものではなく、私たち皆が心の暗部に抱え、抗っているはずなのだ。だからこそ、この小説は普遍性をもった、「父」の超克、生への憧憬と礼賛へと昇華されうるのだ。
本書で現れる「分人」という重要なアイディアについては、先日ブログで紹介した同著者の『私とは何か―「個人」から「分人」へ』に詳しい。こちらは小説ではないが、読みやすいだけでなく、私たちの人生への深い含蓄を持っている。
- 作者: 平野啓一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/09/14
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