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岡真理『記憶/物語』(2011年2月14日に執筆)

あしたのための声明書|自由と平和のための京大有志の会

http://www.kyotounivfreedom.com/manifestofortomorrow/ …

 

ひとりの国民として、強く支持する。

 

発起人のひとりである岡真理さんの著作『記憶/物語』には、数年前に圧倒された。現在、最も信頼できる人文系の学者のひとりだと確信している。

2011年2月14日、私はアマゾンに書評を書き残している。

私が書いたのは拙い書評かもしれないが、これがきっかけになって、ひとりでも多くの方が、この息が詰まるような著作を手にとってくださることを願い、ここに再掲する。

 

記憶/物語 (思考のフロンティア)

記憶/物語 (思考のフロンティア)

 

(書評)

巻末によると、本書出版時の著者の専攻は、「現代アラブ文学、第三世界フェミニズム思想」である。アラブ世界に身を置いた体験があり、アラビア語、アラブ文学に通暁している著者は、ほとんどの日本人が知ることのない、あるパレスチナ人の虐殺事件から、この本を語り始める。ただし、本書の目的は、特定の虐殺事件に照準を絞ることにあるのではなく、戦争において典型的に顕在化する、圧倒的に不条理で無意味な暴力やその記憶を、他者と分有するとはどのようなことであり、また、それは如何にして可能かという、より一般的なテーマを追究することにある。

著者は、自らの問いの重みに困惑し逡巡しながらも(そうした軌跡の轍を残しながらもなお)、畏怖するほどに明晰な文章で、欺瞞のない誠実な思考を実践している。

著者の思考の前提は、以下のようなものだ。すなわち、戦争のような理不尽で激しい暴力に晒され損なわれた者たちは、その〈出来事〉を、その記憶を、現在形の〈出来事〉として生きている。彼ら彼女らは、それを過去形のレベルに回収し、体験として語ることができない。このとき、彼ら彼女らと、その〈出来事〉(の記憶)との主客が逆転している。すなわち、ここにあっては、人が思い出すのではなく、記憶が到来する。人が出来事を語るのではなく、出来事が人に語らせるのだ。とはいえ、暴力に特徴づけられた、こうした常に現在形として回帰する〈出来事〉は、語ろうとしても、汲み上げられない〈出来事〉が常にこぼれ落ちてしまう。

こうした「語り」の前にあって、われわれは、如何にその他者と記憶を分有すべきか。まず、著者が何より唾棄するのは、無意味で不条理な暴力や死、その記憶に対して、意味の不在を直視できないために、英雄物語や愛の讃歌のようなもので意味を充填しようとする態度だ。著者は、このような態度を「暴力」ということばを遣ってすら糾弾する。この感覚は、著者ほどに優れた文学的資質を持っていれば至極当然であろうが、この観点からスピルバーグの『プライベート・ライアン』や『シンドラーのリスト』を完膚なきまでに批判する手腕は見事で、喝采を送りたくなったほどだ。

とは言っても、著者は単なる手腕ある辛辣な批評家ではない。語り得ぬものの存在を自覚し、自らの無力を自覚し、それでもなお、他者の語りに切迫しようとする彼女は、彼女自身の誠意によってもまた傷つけられているように感じる。思想の場はもちろん戦場ではないが、彼女自身もまた、傷だらけになりながら、他者の語りの不可能性の漸近線まで肉迫したのだ。