Taku's Blog(翻訳・創作を中心に)

英語を教える傍ら、翻訳をしたり短篇や詩を書いたりしたのを載せています。

カツ丼、あるいは豚の眼について。(1000字エッセイ)

 小学生の頃に教室で読んだ文章に感銘を受けたことがあって、今では詳細は思い出せないのだけれども、あのときの強い印象が今でも私を捉えることがある。

 その文章を書いたのはたぶん本格的な作家で、小学生向けの「文章読本」のような位置づけのエッセイだったのだろうと思う。「瓜二つ」だったか「猿真似」だったか、そこで挙げられた例は忘れてしまったのだが、その著者は「真剣にものを書く人は、そういう『手垢のついた』ことばは避けるものです」という趣旨のことを書いていらして、私はまだ小さな子どもでありながら、その言い分に大層興奮したのだった。

 爾来私は、何かを考えようとするたびに「自分は『お仕着せ』の言葉に囚われていないか」という懸念に取り憑かれるようになった。我が物のつもりのことばが、あるいは比喩が、お仕着せであるとしたならば、そこに何の値打ちがあるだろう。私の思考に、何の値打ちがあるだろう。

 こう書いてみると、相反する方向からの思いが私を打つ。一度でも鎮座して瞑想することを試みたことがある人ならご存知だと思うが、平凡な人間の想念など、ちりぢりで脈絡のない概念のあつまりでしかないことを私は疑わない。独創は、雨乞いをしても降ってこない。

 「お仕着せ」と「ちりぢりの概念」だけが人間の心を統べているとしたら、怖ろしいことだ。

 今日のITは言うまでもなく「お仕着せ」を易々と扱うであろうし、「ちりぢりの概念」については(多分)ビッグデータが既にその概念を個人以上に精確に把捉しているのだと思う。

 

 今日、人は、そういう類の気味の悪さに無頓着である。マニュアル通りに運営された、フランチャイズ展開されたレストランで、人はTwitterを見ながらカツ丼を食う。人工飼料で太らされ、(もちろんかれらからは見えないところで)屠殺された豚の肉を食いながら、かれはビッグデータをfeedする。データは人の飼料となる。

 この間、知った中学生が、自分たちは近々豚の眼球を解剖するのだと教えてくれた。良いことだと思った。その豚の死んだ眼は、好奇と畏れの混じったかれらの瞳を見つめるであろう。かれらの活きた瞳は、そこに何を見透すのだろうか。

 私の瞳は、惰性と雑念を超えて、これから何を見られるだろうか。そもそも私は、生きているのだろうか。

『盗み』 キャサリン・アン・ポーター (1928) 翻訳

 

Fifty Great Short Stories (Bantam Classics)

Fifty Great Short Stories (Bantam Classics)

  • 作者:Crane, Milton
  • 発売日: 1983/08/01
  • メディア: マスマーケット
 

 

Theft (盗み)

Katherine Anne Porter

 

 入って来たとき、彼女はハンドバッグを手に持っていた。床の真ん中に立って、身体に巻いたバスローブを握りしめ、もう片方の手で濡れたタオルを引きずって、ほんの少し前の記憶を辿った。すべてをはっきりと覚えていた。そう、彼女はハンドバッグをハンカチで乾かした後で、それを開けてベンチの上に広げて置いていたのだ。

 高架鉄道で帰るつもりだった。当然のこととして、彼女はハンドバッグの中身を見て、ちゃんと運賃があることを確認した。小銭入れには40セントあって、彼女は安心した。自分の運賃は自分で払うつもりだった。たとえ、カミロがいつも階段の上まで彼女に付き添い、5セントを機械に入れ、回転式の改札機をそっと押してやって、お辞儀をしながら見送ることになっていたとしてもだ。カミロは妥協に妥協を重ね、大仰で厄介な気遣いは無視することで、今ではほぼ完全な、一連のささやかな気遣いをうまくできるようになっていた。土砂降りの中、彼女は彼と一緒に駅まで歩いた。というのも彼女は、彼が自分とほとんど同じくらいお金がないのを知っていたからだ。彼がタクシーで行こうと言い張っても、彼女は頑なだった。「ねえ、そんなの意味ないから」彼はビスケットみたいな色をした、新しい帽子をかぶっていた。というのは、実用的な色合いのを買おうなんて、彼には思いもよらなかったからだ。その帽子をかぶったのは初めてだというのに、今では雨がそれを台無しにしつつあった。彼女は考え続けた。「でも、これはあんまりにもひどい。どこで新しいのを買うんだろう」そうして彼女は、カミロの帽子をエディの帽子と比べてみた。エディのはどれもぴったり七年ものという気がしたし、雨の中にわざと晒されたもののような気がした。それでもエディが帽子をかぶると、気負わない、偶然の「ふさわしさ」のようなのが生まれていかにもさまになった。でもカミロはぜんぜん違う。みすぼらしい帽子をかぶったら、それはただみすぼらしいだけだった。そして彼自身は覇気を失ってしまった。もしカミロが悪く取るのではと恐れていなければ――というのは、彼は自分が二人のために決めたところまで、自分のささやかな儀式を敢行するのにこだわっていたから――二人がソーラの家を出るときに彼にこう言っていただろう。「お願いだからお家に帰って。ぜったい、ひとりで駅まで行けるから」

 「今夜は雨に降られるって新聞に書いてた」とカミロは言った。「だから、二人で雨をやり過ごそう」

 プラットフォームへの階段道の一番下のところで、彼女は少しよろめいて――二人ともソーラの家でカクテルを飲んで、結構酔っていたのだ――言った。「カミロ、これだけはきいて。今いる場所から上がって来ないで。どうせすぐ下りることになるし、きっと首の骨を折るよ」

 彼は素速く三度お辞儀をした。彼はスペイン人で、雨の降りしきる闇の中に跳び去って行った。彼女は彼を見て立ち尽くしていた。というのは彼はきわめて優美な若者であったからだ。彼は明日の朝には酔いが醒め、台無しになった帽子とぐちょぐちょの靴を見つめるだろう。ひょっとしたら彼女のことを自分の惨めさと結びつけて考えるかもしれない。彼女がじっと見ていると、彼は遠くの角で歩みを止め、帽子を取ってコートの下に隠した。見てしまったことで、彼女は彼を裏切ったような気がした。もし彼が帽子を守ろうとしていたんでしょうとまで疑われていると思ったら、辱(はずかし)めを受けたように感じただろうからだ。

 階段道の屋根を雨が叩いているところに、ロジャーの声が彼女の肩越しに響いた。こんな夜更けに、しかもこんな雨降りに、一体何をしているのか。それから、誰かを送って来たのか、とも。彼の、長くて落ち着き払った顔には雨水が滴っていた。上までボタンを留めた彼のコートの胸元には膨らみがあって、彼は指先でそれをトントンと叩いた。「帽子だよ」と彼は言った。「さあ、タクシーに乗ろう」

 ロジャーの腕は彼女の両肩を包み、彼女はそこに身をあずけた。ふたりはそうやって視線を交わした。長らくフレンドリーな付き合いをしてきたようだった。それから彼女は、雨があらゆる物事の形を、そして色をも変えてゆくのを窓越しに見た。タクシーは高架鉄道の支柱のために、きびきびと向きを変えつつ進んで行った。カーブに出くわすたびに、少し車体が滑った。それで彼女は言った。「車が滑ったら、その分気持ちが落ち着く。ってことは、間違いなく酔ってるな」

 「間違いない」とロジャーは言った。「まったくヤバい女だなあ。カクテルを飲んだら今すぐお付き合いできるんだけど」

 タクシーは40丁目6番街で信号待ちをした。若い男が三人、タクシーの前を闊歩した。電球の下、彼らは楽しげで、碌でもない身なりをしていた。皆痩せぎすで、ガラの悪い、大慌てで裁断されたようなスーツを着て、派手なネクタイをつけていた。彼らもまた素面(しらふ)ではなく、しばし車の前でぶらぶらとしていた。すると三人の間で言い合いがあった。互いに対して身を乗り出して、歌い出そうとしているみたいだった。一人目が切り出した。「俺が結婚するときはなぁ、結婚のためにするんじゃないぞぉ。俺は、愛のために結婚するんだぁ」すると二人目が「おお、いいぞ!あの娘(こ)に言ってやれ、なぁ」と囃し立てた。すると三人目が興を惹かれて「バカ!こいつとかぁ?金持ってないじゃないかぁ」と言った。一人目は「はぁ?黙れよぉ、このバカ。金なら、ある」とやり返した。そうして、彼らは皆で騒ぎながらそそくさと通りを渡った。はじめの二人が三人目の背中を叩き、あちらこちらへ押し出していた。

 「バカだ」とロジャーが評した。「純粋な、バカだ」

 女の子が二人、軽やかに行き過ぎた。片方が緑色で透明の、もう片方が赤で透明のレインコートを着ていた。降りしきる雨の中、二人は首を縮込めていた。片方が、もう片方にこう言っていた。「ええ、そのことは全部知ってる。でも、私はどうなるの?あなたはいつも彼のことばかりかわいそうだって思ってるけど……」そして二人は駆けて行った。ペリカンみたいに短い脚が光を浴びてチカチカしていた。

 タクシーが突然バックし、また飛び出した。しばらくしてロジャーが言った。「今日ステラから手紙が届いたんだ。26日に帰って来るそうだよ。決めたんだね。これで解決というわけか」

 「私も今日、手紙みたいなのをもらったよ」と彼女は言った。「私は自分のことは決めた。あなたとステラは、何かちゃんとしたことをしてもいい頃だと思うよ」

 タクシーが西53丁目の角で停まったとき、ロジャーが「10セントでいいよ」と言った。それで彼女はハンドバッグを開けて、彼に10セント硬貨を渡した。「綺麗だね、そのハンドバッグ」と彼は言った。

 「お誕生日にもらったの」と彼女は言った。「気に入ってる。あなたの公演はどうなってる?」

 「ああ、頑張ってるよ。近くまで行くこともないけどね。何も売れてない。俺はやることをちゃんとやって、後は相手次第だよ。話し合いはもう終わった」

 「頑張りどころじゃない?」

 「頑張るというのが難しい」

 「おやすみ、ロジャー」

 「おやすみ。アスピリンを飲んで湯船に浸かるといいよ。風邪を引きかけてるみたいだから」

 「うん」

 ハンドバッグを脇に抱え、彼女は階段を上がった。最初の踊り場でビルが彼女の足音を聞いて、頭を突き出した。髪はもつれ、目は赤かった。「頼むから中に入って俺に一杯付き合ってくれ。悪い知らせがある」

 「ずぶ濡れじゃないか」と、彼女のぐちょぐちょの足元を見てビルは言った。二人は二杯飲んだ。ビルによると、監督がキャストを二度も選び直した挙げ句にリハーサルを三度させ、終いには芝居を放り出したのだそうだ。「俺は監督に言ったよ、『傑作とは言いませんでしたよ、良い芝居になりそうだって言ったんです』ってね。そしたら監督、『これのどこが芝居だよ?こりゃ、医者の治療がいるレベルだぞ』と来た。それで俺は詰んだ。完全に詰んだんだ」と、ビルは再びむせび泣きそうになりながら言った。「ずっと泣いてたよ」と彼は彼女に言った。「酒飲みながらね」それから彼は続けて、自分の奥さんが贅沢をするせいで自分が駄目になりつつある、気づいてたかと尋ねた。「俺は不幸だけど、毎週妻に10ドル送ってるんだよ。ほんとはそんなことしなくてもいいのに。妻は、そうしなかったら刑務所に入れてやるって脅すんだけど、そんなことはできっこないんだよ。神さま……妻は私に辛く当たりますが、どうかそれでも妻にチャンスをお与えください!あいつは扶助料を受ける権利はない、あいつぁ、そんなことは知ってるんだ。あいつは赤ん坊のために金がいるとずっと言ってて、俺は、苦しむ人を見るのが忍びないから金を送ってるんだよ。それで、ピアノと蓄音機ではすっかり遅れをとったなぁ、両方とも……」

 「ねえ、このラグかわいいね、とにかく」と彼女は言った。

 ビルはそれをじっと見て、鼻をフンと鳴らした。「リッチのところで買ったんだよ。95ドルだった」と彼は言った。「昔はマリー・ドレスラー(訳注:カナダの女優  1868-1934)の持ち物で、1500ドルだったそうだよ。でも、今はこれ、焦げ跡があるんだよ、ソファーの下のところ。びっくりした?」

 「別に」と彼女は言った。空っぽのハンドバッグのことを考えていた。彼女が書いてやった、いちばん最近の批評文への支払い小切手は、後三日は期待できそうにない。地下食堂との取り決めだって、彼女が内金を払わなかったらそう長くはもたない。「こんな話をするときじゃないんだろうけど」と彼女は言った。「ほんとだったらあなたは私に50ドル払ってなきゃダメなのよ。私が第三幕に出てあげた分。約束したでしょう。『どこが芝居だ』とか関係ないよ。とにかくお仕事にはお金を払うことになってたじゃない、前金から」

 「涙するキリスト」とビルは言った。「君もかい?」彼は湿ったハンカチに顔をうずめ、大きな音を立てて鼻をすすったりしゃっくりをしたりした。「君のだって、おれのと同じで、つまらんもんだぜ、考えてくれよ」

 「でもあなたは何かもらったでしょ」と彼女は言った。「700ドル」

 ビルは言った。「頼む。もう一杯飲んで、忘れてくれ。無理だし、無理なの知ってるだろ。できるんだったらする。でも、俺が苦しいの知ってるじゃないか」

 「じゃあそれでいいよ」気がついたら彼女は、ほとんど意に反して口走っていた。ここは曲げずにおこうと思っていたのに。二人は黙ってもう一杯飲んで、彼女は一つ上の階の自分のアパートメントに戻った。そこで、彼女ははっきり覚えているのだが、ハンドバッグから例の手紙を取り出し、そしてハンドバッグを乾かすために広げたのだ。

 彼女は腰を下ろし、手紙を読み直してしまっていた。けれども、いくつかのフレーズが何度も読み直しを迫っていた。それらには、残りのフレーズとは別個の、独自の生があった。読み過ごそうとしても、まわりを読もうとしても、それらのフレーズは彼女の目の動きに合わせてついて来た。彼女は逃れることができなかった……。「真剣以上に君のことを想っている……そう、僕は君の話だってする……台無しにするのがどうしてそんなに怖い……たとえ今君に会えるとしても僕は、……ない……このひどいの全部の価値も……終わり……」

 彼女は慎重に手紙をビリビリに破いて、燃えさしの残った暖炉の中で火のついたマッチを当てた。

 翌朝の早い時間、彼女は湯船に浸かっていると、女性管理人が扉を叩いて中に入って来た。冬に備えて炉を動かす前に、暖房の点検をしたいのですがと声を張り立てた。何分か部屋を動き回った後、管理人はびしゃんと扉を閉めて行ってしまった。

 彼女は、ハンドバッグの中の煙草入れから煙草を取り出そうと風呂から出て来た。ハンドバッグは失くなっていた。彼女は服を着、珈琲を作って窓際に座ってそれを飲んだ。間違いなく管理人が盗んだのだ。馬鹿騒ぎをしなければ、間違いなく返って来ないだろう。それなら、もういい。一度こう決めてしまうと同時に、ほとんど殺意に近いような怒りが沸き起こった。注意深くテーブルの真ん中にカップを置き、ふらふらと階下に下りていった。長い階段を三つ下り、短い廊下を渡り、急な短い階段を下りて地下に到達した。そこには顔に煤(すす)をつけた管理人がいて、炉を揺すっていた。

 「お願いですからハンドバッグを返してくださらない?お金は入っていません。いただきもので、失くしたくないんです」

 管理人は腰を浮かすこともせずに振り返り、熱く煌(きらめ)いた目を細めて彼女のことを見た。瞳には、炉の赤い光が映っていた。「何のこと?ハンドバッグ?」

 「金色の布のハンドバッグですよ、私の部屋にある木製のベンチからあなたが盗んだハンドバッグ」と彼女は言った。「返していただかないと」

 「神さまに誓って言いますけど、そんなの見てもいません。神さまに誓って、嘘じゃありません」と管理人は言った。

 「ああ、そうですか、それならご自分のものになさい」と彼女は言ったが、ひどく棘のある声で「そんなに欲しいんだったらね」と付け加えた。そうして彼女は場を後にした。

 生まれてこの方、扉に鍵を掛けなかったことなんてないのは覚えていた。この記憶は、ものを所有したら落ち着かなくなる、いわば内なる拒絶の原則にも基づいていたし、自分は1ペニーも盗まれたことがないと言って友達を戒める前の、どこか矛盾を抱えた自慢にも基づいていた。彼女はこの荒涼とした、形ある「謙虚さ」に満足していた。そしてその「形」というのは、場の状況での自分の意志とは無関係に人生の行き先を命じる、ある確固たる、そして確固としていなければ無根拠でしかない平凡な思い込みを、具体化し、また正当化するために拵えられたものだった。

 この瞬間、彼女は無数の大切なものを奪われてきたのだと感じた。手で触れることのできるものもだし、手で触れられないものもだ。失われたものもあれば、自分のせいで壊したものもあった。忘れてしまったものもあれば、引っ越したときに前の家に置いてきたものもあった。貸したのに返してもらえなかった本、計画倒れになった旅行、言ってもらうのを待っていた、でも聞くことのできなかった言葉、そして、やり返すために本気で言った言葉。そんなことは言わないで済んだのに、棘のある言い方を選んでしまった。何も言わないほうがましだったのに、その代わりに耐え難い言葉で応じてしまった。でも、どうしようもなかったのだ。死につつある友情が何年も気長に続いてゆく苦しみ。愛の、暗く説明のつかない死――かつては彼女の元にあって、そして逃してしまったあらゆるものが一緒くたになって失われてしまった。思い出される喪失という喪失は地滑りのようで、全てが再び失われてしまった。

 管理人は手にハンドバッグを持って、階上まで彼女の後をつけていた。両目には、さっきと同じ真紅の炎が煌めいていた。まだ六段ほどの間隔があったが、管理人は彼女にハンドバッグを突き出した。

 「言いつけないでくださいね。きっと魔が差したんですわ、私。ときどき頭の中がおかしくなるのよ、ぜったいそう。うちの息子でも分かることなのに」

 彼女は少しの間の後でハンドバッグを受け取った。管理人は続けた。「もうすぐ17になる姪っ子がいるんです。優しい子で、その子にあげるつもりだった。かわいいハンドバッグが要るから。私、おかしくなってたんですよ。あの、お言葉ですけど、あなたいろんなものを散らかしてるのに、そのことに気づいてないのかしら」
 「いただきものだから返してほしかったんです……」と彼女は言った。

 「これを失くしたって新しいのを買ってもらえるでしょう」と管理人は言った。「姪っ子はまだ若くって、かわいいものが要るのよ。若い人にはチャンスをあげなくちゃ。ほら、結婚したいなってなって、あの子にはちゃんと若い男の子がいるんですよ。かわいいものだって持ってないと。ほんとに今、そういうのが要るんだって。あなたは大人の女性で、これまでにはチャンスだってあったでしょう。分かってるはずよ」
 彼女はハンドバッグを管理人に突き返して、こう言った。「自分で何を言ってるのか分かってないでしょ。ほら、あげるよ。気が変わった。もうこれ、要らないんだって」
 管理人は忌わしそうに彼女を見上げて、言った。「私だってもう要らない。姪っ子は若くってかわいいから、かわいく見せようとしなくてもいいからね。若くってかわいいんだからね、とにかく!ほんとはあなたの方こそ要るんじゃないのかしら」
 「そもそもあなたのじゃないでしょう」と彼女は言って後ろを向いた。「私があなたから盗んだように言わないで」
 「私からじゃなくって、姪っ子から盗もうとしてるんですよ」と管理人は言って階段を下りていった。
 彼女はハンドバッグをテーブルに載せ、腰を下ろした。珈琲は冷たくなっていた。そしてこう思った。「私以外の盗人なんて怖くない、この判断は正しかった。私っていうのは結局、私に何も残さないのだから」

The Only Way to Fight Hate (TIME誌の記事より翻訳)

以下は、Nancy Gibbs氏による"The Only Way to Fight Hate"(「憎しみと闘う唯一の道」)と題された文章の翻訳です。2018年11月1日のTIMEの記事です。(November 12号に所収)以下のリンクでも原文が読めます。

http://time.com/5441420/gibbs-beyond-hate/

 

 憎しみは、私たちのあらゆる根源的本能のうちで、もっとも截然と人間的である。動物にあっては、暴力と恨みは、生存の道具である。人間にあっては、覇権の道具である。まるで、憎しみが人を大きく、安全に、強くするようである。ここ最近の襲撃者の一団の、インターネットへの歪んだ投稿が示唆しているのは、彼らが義務として、憎しみの態勢を取らねばならないと感じたことである。ロバート・バワーズ容疑者(注:10月27日に米ペンシルベニア州シナゴーグユダヤ人礼拝所)で銃を乱射。11人が死亡、6人が負傷)は申立によると、ユダヤ人が難民にまで手を差し延べていることを批難していた。シナゴーグに向け出発したとき彼は、中央アメリカを通って北進する「侵略者」を撃退することを誓っていた。「手をこまねいて、我らが種族が殺されているのを見ていられない」彼の名と一致するメール・アカウントには、こう投稿したのがあった。殺戮の場に派遣された殉教者でもあるかのようだ。また、爆発物を郵送した疑いがかけられているシーザー・サヨック容疑者(注:前大統領ら著名な公人や民主党議員に爆発物を送付した容疑がかけられている)は、ジョージ・ソロスに付きまとっていた。ホローコーストの生き残りの十億長者で、民主党の慈善家でもあるが、陰謀論者曰く、あの侵略に指揮援助をしているというのである。―その武装侵略者はほとんど千マイルも彼方にいるし、彼らの(arms: 武器、腕)の中にある主たるものは、彼らの子供たちなのだということには思いが至らない。「白人は白人を殺さない」と、目撃者はグレゴリー・ブッシュが言い及んだことを引用した。彼は、ケンタッキーの食料雑貨店で黒人の買い物客2名を殺害した容疑で逮捕された。申立によると、事件前、近隣の、黒人が大半を占める教会に侵入できなかったという。

 

 私たちは、「憎しみ」という授業の最難関コースを受講している最中と言ってよい。私たちには他に選択肢がないからである。憎しみは、私たちが最大限の努力を払って抑圧している人格の部分から、真っ先に直視せざるを得ない部分にまで動いてしまった。憎しみはその縛りを抜け、今や私たちの政治、諸綱領、報道、個人の衝突といった場面を駆け巡っている。そして憎しみは、遠くまで行けば行くほど力を増す。これまで誰かを批難するのに不慣れであった人々は、眼前の分断を越えて広がる光景に大いに戦慄し狼狽した結果、手に手を携えてそれと闘う覚悟でいる。礼儀正しくあるように求めても、それは弱さの露呈だ、いわば、一国だけの武装解除だと軽蔑される。トランプ大統領は、団結を呼びかける。けれども彼は同じ口で団結を妨げている。対立者を悪者に仕立て上げ、現実の脅威を見くびり、トラウマを軽んじる。彼は、殺戮された方々を悼んで政治集会を取りやめることなど考えなかった。いや、彼は取りやめを検討したと言った、ただしそれは彼の「髪型が決まらない日」(注:何をやってもうまくいかない日の暗喩)だったからだ。

 

 大統領の嘘にはあまりに多くの関心が寄せられているから、私たちはともすれば彼の粗暴な正直さを見逃してしまう。暗殺の企ての直後、彼は歴代大統領に電話連絡をする必要性を認識しなかった。「控えさせてもらいたいね」と彼は言った。「郵便爆弾騒動は遺憾だ。共和党中間選挙の勢いを削ぐからだ」とも主張した。シナゴーグでの銃撃の犠牲者を弔慰するツイートの後には、ワールド・シリーズに関するコメントが続いた。彼は、そうした銃撃への解決策は死刑制度を再開することだと示唆した。暴力に対抗するのに、それを超えた暴力で対抗するに勝る手段があろうか、というわけだ。そして、もし国土で暗く危険な力が台頭しているとすれば―彼はそう信じているのであるが―「『フェイク・ニュース・メディア』つまり『人民の真の敵』は、あけっぴろげに、はっきり敵意を剥き出しにするのを止めて、ニュースを正確かつ公平に伝えろ」ということになる。

 

 同様に、彼が共感を全く欠いているという証はまた、彼には天賦の才もなければ政治的な強みもない証でもある。彼が持てるのは、私たちのもっとも暗い本能を嗅ぎつけ、それらに訴えかけ、潜んでいるところから引き出してくる能力である。もっとも私たちにとっては、そんなものを目にしないに越したことはないのであるが。彼が侵害しているあらゆる規範の中でもっとも剣呑なもののひとつは、「アメリカ人は常に、私たちを引きずり下ろすのではなく高め、そして私たちを引き離すのではなく団結させる指導者を求める」—これである。「アメリカを再び偉大に(Make America Great Again)」は、怒りに満ち、憤懣やる方ない人々にとっては目覚ましく大望に満ちたスローガンであってきただろう。しかし、偉大さへの道程では、難破した船のように、損なわれた諸制度、価値観、国家の名誉の残骸が煙を上げていることが今や明らかになった。失われしは、死に至る戦いではない政治的な闘いから得られる喜びだ。政治が血なまぐさいスポーツになれば、ほんとうに人は死んでしまうのだ。

 

 さて、それでは問題は以下のようになる。私たちの通常の反応が機能していない。陰謀論の「真実」としての広がりは少なくとも、真実は重要であることを前提とする。同時に、そうした陰謀論は真実を侵蝕する。友人を繋ぐことを意図していたソーシャル・ネットワークは、敵を作るために巧みに設計されていることが判明した。ファクト・チェッキング(事実の確認作業)は大した問題ではない。多数が真実に勝る(tribes trump truth)からだ。記者が大統領が憎しみを煽っていることについての説明責任があると見なそうとすれば、大統領は記者を、偏向報道だ、分断の火に油を注いでいると攻撃する。左派が相手と同じ出方に出れば、私たちの対話を損なう戦略の片棒を担いでしまう。

 

 十字砲火にさらされているのは、怒りに震えたというよりは疲弊してしまった市民である。醜悪で、知的に不毛な、今では、私たちの公共空間として通っている巣窟をどう説明したらいいのか、あるいはそこからどう逃げ出したらいいのか、途方に暮れているのである。陰謀論は、じっさいの知の真面目な営為の代わりにもてはやされている。陰謀論を抱けば、手軽に優越感に浸ることができる。「普通の人は夜のニュースで耳にしたことや新聞で読んだことを信じている。けれども、君はもっと頭がいいんだ、もっと物を知っているんだ。こうした出来事の裏には規則と筋書きがあるのが見て取れるだろう。『グローバリスト』が糸を引いているんだ。『闇の国家』に君の任務が邪魔されているんだ。君だったら騙されない、君は操り人形じゃない、君のほうが物を知っている。君は真実を知っているんだ」。

 

 さて、それではどうすればいいのだろうか。このことによる損失についてもっとも雄弁に語る政治家諸氏は主に、現場を去りゆく人たちである。責任の果たされない時代、あらゆる「エリート」—教師、牧師、科学者、学者を問わない―が疑わしい時代にあって、私たちはどこで道徳的な指導者を見出すことができるだろうか。

 

 もし私たちの過去が導きであり慰みであるなら、その由来はこれまでと変わらない。左を見、右を見よ。上や下を見るのではない。リーダーシップは、『生命の樹』(注:銃撃されたシナゴーグの名)の精神とともにある。そこでの犠牲者には、無償で歯の治療をする歯科医がいた。「彼らにはほんの少しも憎しみを抱いていな」かったと葬儀でラビ(注:シナゴーグの主管者)が語った兄弟がいた。60年以上前にこのシナゴーグで結婚したご夫婦がいた。夜を明かして祈り、黙して連帯しようと訪った何千もの人が彼らすべての死を悼んだ。さらに、リーダーシップは、さらに多くの郵便爆弾が現れたときも職務に引き続きあたった郵便局員とともにある。そして、ケンタッキー州の食料雑貨店で銃撃があったときには、人種と暴力についてコミュニティーで話し合った住民の方々とも、ともにあるのだ。

 

 愛の対極が憎しみでなく無関心であるとするなら、憎しみを解くのは「取り組み」である。投票の日に人々が投票に行くよう、週末人々の玄関の扉をノックしたり、また、電話作戦部で任務にあたった人々はその発露である。情報の奔流から有害な情報を取り除く方途を探る技術者の事業もその発露である。地球上でもっとも富める国々の中のひとつにあって、どういった形の、思いやりに満ち持続可能な文化を自分たちが期待しているかを上司に直談判している従業員もその発露である。服、乳癌の研究費、植樹に充てるためのお金を集めている教会連合や市民クラブや行進隊もその発露である。放課後も個人指導をするために学校に残ったり、あるいは選手たちに、試合相手と敵との違いを指導するコーチもその発露である。―そうしたコーチは、選手たちが将来この知恵を携えた上で、今ではスポーツというよりも戦争のようになってしまった公共空間に参入できることを期待しているのだ。リーダーシップとは、思いやりを形作り、疎外と闘い、オフラインの世界で、街や教室や聖域にまで繰り出し、困っている人に手を差し伸べる、そうした無数の個人の決断から生まれくるであろう。

 

 ここまで書いたらもう明白である。火曜日何が起ころうとも、誰も私たちを救いには来ない。私たち自身で何とかするしかないのだ。

Is it acceptable to keep animals in a zoo?

            Since I was a little boy, I have been to zoos many times. As a child, I learnt how diverse the animal world is, as well as how affectionately each life should be treated. As I grew up, I came to understand that zoos play an important role in protecting endangered species. Given the educational value zoos offer and the contribution they make to conserving the environment, zoos are not simply acceptable but also necessary for society.

            Firstly, with a great many species in one place, visitors realise that our planet is inhabited by miscellaneous kinds of creatures. Everybody might know about black-and-white-striped horses called zebras living in a far-away continent, but learning the fact from a textbook and watching them grazing on grass, neighing, are two different things. Colourful birds from the Amazon Basin capture our imagination, while awkwardly big, sad-looking elephants awe us. Each animal kept in a zoo reflects diverse Mother Nature, and in most cases, only through strolling in a zoo and watching the animals can we notice the fact that we live on a planet teeming with so many species.

            Secondly, the zoo is the best place for developing affection towards animals. Children as well as grown-ups start to feel that each animal is a unique, fragile living creature that needs to be loved as much as we humans do. This educational factor is well known to zookeepers themselves, some of whom provide facilities where visitors can spend time with such animals as rabbits, goats and sheep. Holding a rabbit in our arms or stroking a sheep by the head, we can feel their hearts beating, their arteries carrying warm blood. Even if we are not lucky enough to play with them, we learn how precious each life is while walking freely in a zoo and watching the animals. Animals that are close to us mean far more to us than images on TV or computer screens. It is only their tangibility that lets us be free of indifference and enables us to love other species.

             Thirdly, the zoo is a place not only for displaying interesting animals, but also for protecting endangered species. Take pandas for examples. They are known to be a difficult species to breed as well as an endangered one. If zookeepers all over the world had not tried hard to help them breed, brought cubs up in an incubator and taken good care of them through their lives, the species would hitherto have become extinct, and needless to say, the panda is only one example of so many species that are on the brink of extinction.

            As stated above, the zoo is an important facility from the educational standpoint, and at the same time, it plays a key role in protecting rare animals from dying out. It is more than acceptable. (471 words)

汽笛

  日の高い、四月の終わりの昼間、大きな本屋で女の手頸の傷を映した写真集を見た。写真には二十代半ばと思しき痩せた裸の女の左半身が映っていて、手頸の上部に抉ったばかりのような紅色の深い裂目があった。私はすうっと女の手頸から腕へと、肩へと、小さな乳房へと目を移した。写真の下には陰毛が翳っていた。そうしてまた、傷を見た。この女はもう死んでいるかもしれないと思った。それから、この写真家はまだ生きているに違いないと思った。

 

 

  私はもう若い頃ほどには死を憧憬することはなくなったと思っていた。だから写真集を置き、離れたところで別の本を繰っていても女の手頸の傷ばかりが脳裏に浮かぶのを意外に思った。紅い傷口は、もう死んだかもしれない女の手の届かぬ所で雄弁だった。語り得ぬ人は、口を開くのに己の手頸を刃物で傷つけねばならないのだろうか。色彩を失った生を彩るのには、自らの手頸にナイフを突き立て、紅い血を流さねば?

 

 

  女は、中丸刀と呼ばれる、木に太い線を彫刻する刀で自らの左腕を抉ったのだった。遠くの汽笛のような痛みがあった。肉が削げ、血が夥しく流れた。女には、本当に汽笛が鳴っているような気がした。静かな昼間に海から届く、長閑な音だ。女がいつも「ぐじゃぐじゃ」と形容していた混乱は後退し、一時の平安が訪った。が、すぐに女は「血を止めなければ」と思った。それで座っていたマットレスから身を起こし、大股でキッチンまで行って、蛇口をひねった。水ってこんなに色がないものだっけ。痛みがゆっくりと歩み寄ってきた。

 それから一時間ほどどう過ごしたのか、女には思い出せない。気がついたら夜の闇は薄らぎ、小鳥が鳴いていた。灰皿には煙草の吸殻がふたつあった。シンクの血は水と混じり、鮮やかな紅を保っていた。痛い。「助けて」と女は静かに言った。けれども、自分の声はいかにも嘘くさく、女は自嘲気味に唇だけで笑んだ。その笑みすらも下手な演技のようで、そう思うと女は途方に暮れた。血が溢れないように静かにマットレスに戻り、血のついた右手で電話を取った。

  「もしもし」と女は言った。

  「もしもし」と酔った男の声。朝の四時半を過ぎていた。少しの間の後、女は「切っちゃった。手頸。かなり深く」と言った。

  「そうか」と男は神妙そうに言った。神妙なふりをしている、と女は思った。

  「どこ?」

  「三宮で酒を飲んでる」

  「行く」

  「そう。おいで」

  肌寒い夜で、女はパーカーを羽織ろうとした。けれども、手頸が血だらけだったし、今でははっきりとした形のある痛みがあった。「無理だ」と思った。「行くのは、無理だ」しばし呆然としていた女はしかし、ふいに右手だけでTシャツを脱いで、下に履いていたものも脱いだ。床に少し血が落ちた。蛍光灯をつけると周りは白くなった。全身鏡に身体を晒し、鏡を通して裂目を見た。女は少しだけ満足し、電話に付属するカメラを鏡に向けた。揺れる画面の中の鏡に女は、血の溜まった裂目を見た。中央が紅色で、周りにいくほど黒っぽい。右手が震えるのを抑えながら、裂目を一枚撮った。続けて、顔が鏡に映らないようにしながら、左半身を撮った。すぐに写真を見たが、自分の周りが白く明るいのも、散らかった部屋が写っているのも気に入らなかった。それで、蛍光灯を消し、カメラのフラッシュを焚き、右手の震えを抑えながらカメラを鏡に向け、裂目と、左半身を何枚か撮った。最後にカメラを直接傷に向け、もう一枚撮った。もういい。そうして、鏡の下にティッシュペーパーがあるのを見て、電話を置き、傷の周りを叩いた。

 

  電話が鳴った。女は出なかった。今自分が電話をかけた相手なのに、女は男を軽蔑し、ほとんど憎らしく思った。

 

  夜は映写機のようにぐるぐると回転し、小鳥はいよいよ激しく囀り、曇天の朝が現れた。女は今や、写真を誰かに見せたいという激しい欲求に駆られていた。けれども同時に、そうしない方がよいだろうという思いもあった。実験をしなければ。試しにあの酔った男に写真を送信したらどうなるだろう。あの男なら、私の人生から消えても一向に構わないから。

 

  男は足元が覚束ないほどに酔っていた。夜はすっかり明け、白んだ空の下には灰色の建物が林立していた。カラスがかあ、かあと鳴いて青いゴミ袋を破いていた。鬱屈した、人恋しい気がした。電話が合図した。さっき電話を寄こしてきた女からだ。確認すると、写真が二枚届いていた。文面はなかった。傷を見た男はどきりとしたが、すぐに自分が少しも同情していないのに気づいた。男は強く目を閉じ、二秒数えてまた目を開けた。空のほとんどを占める白い雲の裏側に黄色い太陽があるのが分かった。酔いはいよいよ回っていた。下心を隠そうと努めつつ、男は返事を書いた。「大丈夫?痛々しいよ」

  女からの返事はなかった。

 

  夕方から雨が降り、女の傷口は疼くように痛み、男は宿酔で動けなかった。女は病院で傷を縫ってもらった。男はベッドの中で裸の女の写真を見つめていた。左腕に裂目があった。いつまでも塞がりも褪色もしない、画面の中の裂目に、男はだんだんと魅了された。夜は更け、また明けた。そうしてまた日は沈んだ。

 

 

  こうやって、ある一日は別の一日に取って変わられるのだと私は思う。その別の一日は、また別の一日に取って代わられる。彫刻刀で印をつけておかないと自分がどこにいるのか分からなくなる人がいる。血が流れる。静寂の中を痛みだけが追いかけてくる。けれども本当は私には、そんなことは何も分からないのだと思う。いつしか夜は明け、遠くで汽笛の音が聞こえる。私はびっくりする。

 

 

  男は宿酔から醒めてなお何日も、電話の画面で女の傷口の写真を倦むことなく見つめていたが、やがて写真集を編むことを思いついた。傷ついた手頸を撮った写真を何十枚か集めた。集めた写真を加工し、批評を添えた。まとまった冊数が売れ、版を重ねもしたが、男はますます憂鬱になった。ある日酩酊するほど酒を飲んだ後に向精神薬を大量に服薬し、自死してしまった。

 

 

  そこまで考えて私は写真集を閉じ、本屋を出た。往来には無数の男女が行き来していた。人混みの一部分になると私は、じきに写真集のことは忘れてしまった。喧騒は高らかな空に吸い込まれていった。初夏が訪れようとしていた。

人生に疲れてたばこをやめることにしたおじさんが

カラカラカラと飴を口の中で鳴らしている。

おじさんには小さな娘さんがいる。

百色の色鉛筆よりもふしぎな色をした

よろずの色の飴袋から

大切に一粒ずつ、

大きな粒を小さな口に頬張っている。

奥さんは

職場のデスクで、はっかの味のする飴を舐める。

コロン、コロンという音は確かで、

キーボードを叩く音に消されることがない。

おじさんは、奥さんともうすぐ離婚する。

あるいは、奥さんは、おじさんともうすぐ離婚する。

からん、からんと飴がなる。甘ったるい液が舌にのる。

みんなの人生は続く。飴には関係のないこと。

眠り続ける

幼かった時分の夏の記憶。

私は、遠くにいる母を、おうい、おういと呼んだのに

声は、母に届かず消えてしまう。

黄色い太陽の下、私は半泣きで、

声が届かぬ意味を解せなかった。

おとなになって、

私がいつも思うのは黄色い太陽。

眩しい朝日は

ばかばかしくてうっとうしい。

昼前には

天空から刺す光が

私を眠りに誘って包み込む。

そういうわけで

私は黄色い太陽に包まれて眠る。

何十年も前の夏に

私の届けられなかった声を聞いていた黄色い太陽。

声を届けられずにまごつく私を見ていた。

いまは

疲れ果てた私を温める。

 

もう疲れたと、私は思っている。

夜が終わって、ばかな黄色い太陽が現れ、

私はもう眠ろうと思う。

ばかで柔らかい温もりに

黄色い太陽に

包まれて

ずっとずっと

眠ろうと思っている。